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徒然なるままに自己紹介

名前Ryoko

略歴申年生まれ。
武蔵野の雑木林、玉川上水の緑道などに恵まれたにも関わらず、 勿体無くも根っからの「おウチ大好き」インドア派として成長。
お蔭でスポーツは皆目ダメ、得意なのは「水泳」のみ という、諺「泳ぎ上手はウンチ(運動音痴)と思え」の立派な体現者となる。

中学・高校と「自由と責任」「個性重視」「自分の物差しを持て」を 主眼に置いたかなりラディカルな教育のもと、考え方の基礎を構築。
とはいえ、あまりに高尚で当時はついて行けず、最近になってやっと 先生方が言っていたのはこんな事だったのかもしれないと反芻している次第。

まんまと受験戦争の網の目を潜り抜け、碧したたる麗しのキャムパスに通うも、 バンドムーブメントの真っ最中、 体力の限りを尽くし不健康に、 紫煙の煙る溜まり場でカブキモノとして過ごす。
実を言えば、この溜まり場の隣のテーブルで、パイプふかしつ、トグロを巻いた御仁こそ、 「生きながらにして伝説のギタリストと化した男」Ryu、現良人である。

バブルの最晩年、またもやまんまと職にありつき、 6年近く洋書関連部門に機嫌よく勤務。
途中「自分は不健康を気取れるほど体力がない」事をやっと自覚、 「元気が気持ち良い」派にあっさり転向する。
これには同時期「健康快楽」派に転向したRyuの影響が大きい。
筋金入りのナヨナヨインドアな私が突如スコップ片手に 「お花摘み」なんぞに興じだしたのはこの頃である。
同時期、座右の書々に続々と出会い、月が満ち、力満ち、決意を固め退職、結婚。
良人Ryuと伴に、1年間ワーキングホリデーにてニュージーランド滞在。
その間ISPA認定校であるAromaflexにて、アロマセラピーのコースを終了。
自分の「ふんどし」で実学を学ぶ楽しさを満喫する。
英国アロマセラピスト協会ISPA及びニュージーランドアロマセラピスト協会NZROHA公認アロマセラピストとなる。
1999/11再ニュージーランド入りし、日常生活ドップリ、ジッケンジッケンの現在に至る。
良人はといえば、Abel Tasman国立公園のシーカヤックガイドとなり、風の良い日は海に出掛けている。

趣味娘の頃は自分は趣味が多いような気がしていたが、 料理もケーキ作りも土いじりも「実益を兼ねた趣味=家事」に昇格してしまい、純粋な 娯楽の趣味はいつのまにか見当たらなくなってきてしまった。
読書なんて書くのも、なんとなく履歴書の様で気が進まないし、 プレステのゲームも「これをしている暇に○○しなくっちゃ」などと、貧乏性の私は長続きしない。
と、言いつつも、1度も遊んだ事がない「バイオハザード」、道筋を 随分しっかり知っていたりする処を見ると、どこまで貧乏性か怪しいものだが。

楽器の類も色々齧ったが、なにせ「こつこつ練習」することが、悲しいかな如何とも出来ないのである。
と、いう訳で、齧った分だけ「弾けなくなった楽器」も少なくない。
何とも情けのない限りである。

そんな中、唯一「純粋趣味」と呼べて、尚且つ継続しているのが、 「プロレス鑑賞」(新日)。
「猪木vsアリ」戦で1度はプロレス及び格闘技への興味を失いかけた、 謂わば「ふるいにかかってしまった」私であったが、「小川vs橋本」因縁の対決が 凡そ20年ぶりに「琴線」を刺激。
以来、誰かれかまわず熱くプロレスを語る、性質の悪い「プロレス者」と化した。

思えば、幼児期には「ムキムキマン」、思春期は「北斗の拳」、長じてからは 「エイリアン2」のバスケスと、生来のマッチョ好きは 火を見るよりも明らかであったのだが。
ニュージーランドでは土曜日の夜放送される、1年遅れの「マンディ・ナイトロ」も まぁいいんだけれど、やはり「侠気」、「技の斬れ、繋がり、美しさ」は ニッポンのプロレスが最高だと再確認した。
最近では、日本から送ってもらった「ワールド・プロレスリング」の録画ビデオを、 右手にビール、左手に拳を握り締め、プロレスアナの勉強不足に文句たれたれ鑑賞している。

プロレス技は「あんなの本当は効かないインチキだ」とよく耳にする。
しかし、「ねぇ?あれってどこが痛いの?」と、軽軽しくそんな事を口走ったために、 「アキレス健固め」「腕十字」「ベアハグ」をかけられ、 あわや風前の灯火となった女を私はよく知っている。
そう、プロレスを語るものは、「技を身体で覚えてナンボ」の法則である。
そこで、本日の「主張」だが、プロレスアナよ、技は頭ではなく、身体で覚えてもらいたい。
全くもって「痛みの表現」が、痛んだ事のない人間の言葉なのである。
それで「プロ」と言わりょうかぁ。
あ、また熱くなってしまったが、そう、これが私の趣味っちゃー趣味である。




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