のんき暮らし > > 徒然なるプロレス者



徒然なるプロレス者



アマチュア時代の小川は、バカボンによく似た気の優しそうな好青年だった。
あの、バカボンの仮面を打ち砕き、外してやったのは、他ならぬ橋本だ。
初戦で色気を出した橋本がサッサとケリをつけなかった為に、 小川は「キレた自分」を体験した。

バカボン顔はアマチュア時代、世間が押しつける、スポーツマン=「気は優しくて力持ち」 「好青年」のステレオタイプに自我形成が攪乱され、つけざるを得なかった 仮面であったのだろう。
山下や斉藤は大人だった。
余裕を持って「気は優しくて力持ち」の衣を自ら積極的にまとった。
しかし、史上最年少で世界選手権の頂点に上り詰めてしまった幼い小川に、 何の抵抗ができただろう。
膨れ上がる世間の期待が、ぎゅうぅっと押しつけてくるイメージを 「先輩もそうだし・・・」と自らを歪めている事に 気付かぬまま、訳も分からず身に付けた。
本来の自分を押し込めた事、それが、オリンピックでメダルを取れなかった 原因である。
アルカリ性の土壌では如何とも大きくなれない植物があるように、 小川はアマチュアスポーツの土壌はあわなかったのだ。

しかし、今は違う。
確かに永年の葛藤、クソミソに小川を批判したマスコミの報道や 世間への怨恨もあっただろうが、何より根の深かった自分を欺く仮面が取れたのだ。
小川はバネ、カラダ、センスどれを取っても非の打ち様がない。
そして今や自我をはっきり自身で素直に認められるようになった。
アイデンティティの確立である。
猪木が肉体改造を施し、まるで小川が 猪木の作ったサイボーグのように言われているが、 そんな御茶ノ水博士やアトムはマンガの世界で十分である。

橋本が触媒になり本来の小川を引出し、 猪木は小川に似合う土壌をコーディネートした。
格闘家小川誕生とは、それだけの事なのだ。
いや、それでだけにしておかなければならなかったのだ。

しかし猪木は彼の「イズム」を植えつけた。
殻を抜け出したばかりのソフトシェルの小川の人格をいじるのは、 猪木にとっては赤子の手を捻るより容易い作業だったろう。
最近小川の口の開け方、口角の下がり方、歯並びまで 猪木に似てきた様を見るだに、空恐ろしい気持ちがする。
小川は現在心の底から猪木の忠犬ハチ公になっているが、 気を付けられよ。
ご主人様はいつ噛みつくかわからないお人なのだ。
因果な小川、今後成長を望むのならば、今回与えられてしまった性質の悪い呪縛で いつの日か苦しむ事になろう。

私は猪木の顔が嫌いだ。
年を経て男の顔は「人間性」表す。
つまり、私は人間猪木が嫌いなのだ。
橋本が結局うじうじと「侠」になれないのも、猪木なぞに父親像をダブらせているからだ。
たしかに現役選手猪木は華があっただろう、スゴかっただろう。
しかしそれは人間性とは全く異なるものだ。
引退した猪木は、既に1個の人間猪木に過ぎない。
しかも「老獪さ」までをまとった人間猪木は、ビルゲイツ級の胡散臭さだ。
それなのに、何故、私より随分年若き「華のある猪木」を体験した事のない者までが 猪木が入場すると熱狂するのだ?

最近、我が物顔で新日のリングを取り仕切る猪木を、そして 結局仕切れない藤波、長州を見るに付け、その不甲斐なさに腹が立つ。
私の知っている新日は、なんとか猪木の呪縛から逃れようとはしていなかったか?
健全に団体・選手を育て、後継となる若人を、「義」をもって育てようとはしていなかったか?

相手の骨を砕こうが何をしようが選手猪木は勝ってきた。
コーディネーター猪木も然り、結局自分の所に全てが転がり込んでくるように 網を巡らし、しっかり結果を出す。
今後の団体の成長、各選手の人格を含めた成長、そんなものは全くお構いなし、 そこにあるのはいつでも貪欲な「我」のみ。
そこに熱狂するのなら良い、が、そんなものに熱狂しているはずが無い。
策士猪木の掌、術中に全てがまた落ちて行ってしまう。

そして私は気付いたのである、「私はプロレスを観ていたのではなかったらしい」と。
戦う男たちが、コケつマロビつしながら立派な「侠」になっていく様、 成長していく様、変容して行く行程を楽しんでいたのだ。
だから熱くもなろうし、涙も流そう。
不甲斐なく、情けなく思うのは、魂の思いのたけだ。
それだからこそ、猪木が出てきたとたん、乳離れしていないその姿を恥かしげも無く さらけ出された時、愕然と揺らいでしまったのである。

しかし私の楽しんでいた新日プロレスを築き上げたのは他ならぬ猪木だった。
猪木とは、プロレス者ならば、いつかは対決しなければならない相手 のようだ。
これに懲りず、これからもプロレス道を突き進むか否かは、 どれだけ私が「プロレス者」として成長できるかにかかっている。


のんき暮らし > > 徒然なるプロレス者