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玉子焼きとジェンダー論


犬棒カルタの「て」に「亭主の好きな赤烏帽子」っていうのがあります。
取り札の方には、遠景に白拍子みたいな女の人が赤い烏帽子をかぶって立っていて、 こっち側には「亭主」と覚しき人物のぽ〜っとした大首絵。
「そっか〜、テーシュはアカエボシが好きなんだぁ」と、幼少時、全く疑問を抱かず 遊んでいたので、未だにその真意が図れずにいたりして・・・。

街角で「亭主の好きな○○○○○、5文字で亭主の好きなものを挙げてくださ〜い」って、 突然聞かれたら何て言おう。
慌てないように、答えを普段から考えておかなくては。
おやこどん、あぶらあげ、がんもどき、エビドリアなんでもいいのですが、 やっぱり「ハイ、たまごやきです。」か。
実は、良人Ryu、マッチョ・ヒゲ・ロンゲという、先祖返りを立派に果たした30男。
血も滴るマンモーの骨付き肉に齧りついていたり、 マグロの頭をカチ割っている姿を連想されがちですが、 ホントーは、ピヨピヨの「タマゴ」ものが好き。

私は筋金入りの出不精でして、よく「1人兵糧攻めゴッコ」に興じます。
これ何の事はない、どれだけ買物に行かずに食事を作っていけるか、っていう持久戦。
冷蔵庫すっからかんなのに、雑草やらなんやらの助けを借りて、 ちゃんとご飯が用意出来たりすると、 「やったー、勝ったー」と1人ゴチます。
しかしながら、いつの世も白旗を振らねばならぬ時をいうのは、 訪れるものでして・・・それは、タマゴか牛乳が切れた時。
特にタマゴがないっていうのは、何だか心細いものです。

ニュージーランドのスーパーでは茶色いタマゴが1ダース、2ドル強で売られています。
6号ダマ、7号ダマに分けられているもの、無選別のもの、色々ありますが、 私は少し割安な無選別のものを買っています。
茹で卵はちっちゃいのが好きだけど、料理は大きい方がハカがいくし、 お菓子のレシピに大2個半なんてのもあるし、そんな時この無選別が光ります。
日本で選別モレ、等級外のタマゴってどうなっているのでしょうか。
なんだか、すごくバチ当たりな事をしていそうな嫌な予感がしてなりませんが・・・。
タマゴがヤスヤスになった昨今、青筋立てて選別しなくってもいい様に思えますが、如何?

さて、「じ、実は、たまごやきが好物なんだー、わ、悪いかぁ」と ついつい力んでしまう男性諸氏も結構多いようです。
女性の立場から言わせてもらえば「別にいいじゃん安上がりでー」 位のものなんですが、オトコが「キャリアの長い、玉子焼き好き」を告白するのには かなりエネルギーを必要とするようです。

なんで、恥ずかしいのか・・・?
あの、だしが入ってて、ウッスラ甘くて、ホニャ〜っと柔らかくて、 あれはモロに郷愁、カアサンのイメージなんでしょうか。
郷愁結構、カアサン結構、それが人情ってぇモンじゃないですか。
でも、そこを少うし恥らってみるところなんざ、「美しきニッポン」「ラブリーなジャパニーズ」が そこここに感じられて気味の良いものです。

例えば、泣く子も黙る遠藤ケイ氏、曰く
「玉子焼きが大の好物である。 男のくせに、と笑われそうだが、好きなものは仕方がない。」(「遠藤ケイの手作り生活道具」より)
いひひ、なんか開き直ってます。
剃髪、ヒゲ、強面のゴロっとしたドラ猫大将のような、遠藤ケイ氏がこんな風に言っているのを 聞くと、何だか楽しい気分になります。

この玉子焼き、実は奥が深うございまして、いつもと同じようにタマゴにダシ、 砂糖(私は東女なので味醂に縁遠い)、塩、醤油で薄めに味付けをしても、 層を厚くして巻く回数を減らしてしまうと、つまり手抜きをしてお座成りな仕事をすると、 なんだか美味しくない、いつもと違うものになってしまいます。
また、フライパンや玉子焼き器の調子が悪く破れなどがあっても、なんか イケマセン。
やっぱり1回1回入魂して焼かないと、そう「魂の玉子焼き」。
すると、時に会心作が出来たりする。

まぁ、これくらいふざけて家でやっている位なら罪も少ないんですが、 最近のサライとかAMUSEとかDanchuとかの「おしゃれオジさん」系雑誌は 「玉子焼きの美味い蕎麦屋に行く」とかいって、すぐ特集組んじゃって、 なんだかなぁ。
オジさんには、こう、ウググと恥じらいながら、ひっそり玉子焼きを 食べてもらいたいものです。
なんか、「ハイソ」「ハイセンス」「インテリ」を売りにしている ああいう雑誌、読んでいる時は楽しいんですけど、でも、「ハヂラウカワイサ」っていうのが、 日本男児における一番大事なポイント=愛嬌だ、と思う私。
読者のオジさん達が、「おしゃれになって恥をなくした」ツマラーン男に退行せぬよう、 切に願って止みません。


私が通った中学・高校というのは中々個性的な女子校でして、 ある先生に「あなたたち、女は度胸よ、男は愛嬌」と、事あるごとに言われました。
当時は「なぁるほどぉ」と深く納得、私もここ一番ってぇ時は「女は度胸、女は度胸」と、 唱えながら乗り切ったモンでしたが、長じるに従い「女は愛嬌、男は度胸」が やっぱり良いんだな、と考えを改めるに至りました。

例えば八百屋さん、オジさんだとオマケしてくれるけど(愛嬌がある)、 オバさんはオマケなんてしない(愛嬌が無い)。
例えば大学軽音部のコンサート、男の子は凄くナーバスになってユンケル飲むは、バーボン飲むはしてるけど (度胸が無い)、 女の子は着々とお化粧して平気のへーの平常心(度胸がある)。
例えば出産、お父さんはオロオロしてるけど(もうどうしようもない)、 お母さんは「オリャー」と産んでいる(物凄く度胸がある)。

男はもともと愛嬌のある生きモンだし、女に度胸があるのは当たり前なんだなぁ。
それを「女は度胸、男は愛嬌」なんて言っちゃったら、そりゃまんまですがなぁ。
今思うに、先生はフェミニストって人だったかもしれません。
「女は可愛くあれ、愛嬌があれば良いのだ」と、男性に押し付けられてはカナワン、 そんな気持ちで教え説いていたような気がします。

そもそも「女は愛嬌、男は度胸」って「お互い弱点を強化しましょうねー」とか、 「愛嬌のある女、度胸のある男ってなかなか稀少種でイケマスねぇ、 ああ、アヤカリタイ、カヤツリタイ」って、意味だったんでは?。
いつ頃から言われ始めた言葉かは定かではありませんが、 語呂の良さからいくと、江戸期くらいか・・・だとすれば、 そのココロはこんなモノだったんじゃぁないでしょうか。
なので、性差別どころか、良い得て妙の粋な文句、逆転させたら野暮天よぅ。

時代とともにライフスタイルが変化すれども、生き物としてのジェンダーの本質は そうそう変わるものではありません。
会社で働いた6年間、男性社員が言葉を選んで、気を遣って、 本音は消費税分くらい書いてあればマシっていう書類作ってハンコ押して、 すぐ上のボスに上げて、ハンコもらって、次へ、でも結局真意が通じない。
そんな事がママありました。
男社会とよく言いますが、その中では男の人は非常に不自由です。
本当にもう事態がニッチもサッチも立ち行かない時、 途中の手順を全部すっ飛ばし、本音100%大ボスにジカ談判した事もありましたが、 これ私が男だったらやっぱりしてないでしょう。
会社は社会の縮図なんてよく謂われますが、こんな所にも異なるジェンダーが 共存する事で、理詰めで膠着状態になったものが緩和されたりして。
男社会に女がいるって面白いものだなぁと思うとともに、 随分エンジョイさせて頂きました。

お互いの得意技を鼻につかない程度に披露しあう、 これが滑らかなる世の中の秘訣なんじゃないかなぁ。
そう考えると男性が「男のくせに」を、使ったり、 女性が「女ダテラになんではござんすがね」とか言ったりするのって、 「これから十八番に行きまぁ〜す」っていう符丁とも言える、 中々美しいクッションワードに思えてきます。

えー、ここまでひっぱった玉子焼き。
男女の機微まで考えさせてくれる、実に粋な食べモンですな。

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