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● 苦しみ
今年(2001年)4月に、共同通信社スポーツ特信部から
新聞、しかも一般紙への連載だから、読者層は今まで書いてきたように、一部の好事家とはまったく大違い。趣味を同じくする人たちだけが分かる内容や言葉遣いでは全然ダメなのだ。対象年齢層も、慣れ親しんだウェブ・コンテンツと比較すると、かなり高いところに設定しなくてはならない。
苦しみました、ハイ・・・。
しかしながら、大変勉強になるのは明白。
一日一日文章力がアップしていくのが分かり、これは楽しかった。 いやぁ、しかしながら、いささかシンドかった! 今読み返しても、どうしても言いたかったのに字数の関係で言えなかったことが目についたりする。 例えば、「国民の平均アウトドア度を比較すれば、米国よりもニュージーランドの方が上だ」とした下りなどもそう。 心情的には米国のフォローもしたかったので、アウトドア・グッズ開発の点では、ニュージーランドは米国の足元にも及ばない旨も書きたかったのだが、字数の関係でどうしてもかなわなかった。 本旨には無関係だから、ないほうがかえってスッキリするのは分かっているのだが、まだどうしてもそのあたりが割り切れないのだ。
2001年12月現在、第3回目原稿を提出し終わっている段階なのだが、すでに次回原稿のことであたまはいっぱい。
駆け出しライターの苦しみは、これからまだまだ続くようだ・・・。
● 校正 実は、自分の提出原稿と掲載原稿をきちんと比較してみたのは、今日が初めてだった。 改めて比較してみると、本当に些細な部分だけにしか手が入っておらず、提出原稿の原型を完全に止めたものとなっていた。 正直ホッとした。
ただし、字数を稼ぐために多用した難しい漢字は、大部分が仮名に直されていた。
やはり、読みやすさを優先すべきであったと、反省しきり。 あ、そうそう、言い忘れていたが、上に掲載したのはもちろん校正済みの新聞掲載原稿の方。 ディレクターズカット版は、公開の予定はない(笑)
ちなみに私自身がつけていた原題は『夢』。
他の新聞社のつけたタイトルは 《追記 (2002年12月19日)》
さらにもう2紙入手できたので、ご紹介しよう。 ● ペンネーム
Ryuという名前は、NZでは公式に登録しているので、いまや本名として使っている(日本の公式文書を除く)。
しかし、これは生まれたときに親に貰った名前ではなく、もともとは中学時代に友人から頂戴したニックネームだ(由来はよく覚えていない)。
だからよく ところが今回は新聞連載ゆえ、横書きのローマ字表記が使えなかった。 共同通信社との相談の結果、ペンネームはリュウ・タカハシとなった。
ちょうどその頃収録のあったテレビ朝日の『未来者』出演時も、この名前を使用したのだが、 ただ、いまだにシーカヤックガイドとしてはRyuであるという感覚が強い。 NZの現地会社でキウィの同僚に混じり、欧米人のお客様を相手に仕事をしている以上、日本語の『リュウ』ではなく、英語の『Ryu』である、という意識なのだろう。 実際、英語には「りゃ行」の発音はないため、Ryuの発音は「リユー」になってしまう。 断じて「リュウ」ではないのだ。
だから、今のところ、文を書くときは『リュウ・タカハシ』、パドルを握るときは『Ryu』という風に、自分の中で名前が分裂してしまったような奇妙な感覚を覚えている。
この変な感覚が、今後自分の中でどのように育っていくのか、それとも収束していくのか、非常に楽しみにしている。
● 体力 新聞でお読みになった方から「本当に半虚弱児だったんですか!?」とのご質問をうけるようになった。 これがウソもイツワリもない本当の話なのだ。 実をいえば大学卒業後も四六時中風邪をひいており、年に1度や2度は病欠して、職場にご迷惑をおかけするのが常だった。 NZ渡航直前まで、ずっとそうだったのだ。
運動嫌いだったというのも本当。
小学生の頃剣道をやっていたので、剣道をやる学期だけは5段階評価で5をもらっていたものの、他の学期はたいてい3。
苦手な球技(サッカーやバスケットボールなど)がメインになる学期は2をもらうこともあった。 ところが、NZでシーカヤック・ガイドという、運動好きでさえ音をあげるような仕事をするようになって、自分は運動嫌いでも虚弱児でもなかったことに気付いた。 結局好きなことならば、人間想像以上のパワーが出るものだし、嫌いならば実力の半分も出ないものだと、改めて痛感した次第。
しかし、日本人は私に限らず、運動嫌いが多い。
このサイト内でも「日本人は体力がない」と、しばしば書いてきたが、そもそも体力以前に運動そのものを嫌っている民族のようだ。 自分自身もそうだったから、気持ちはよく分かる。 これはやっぱり教育に起因しているような気がしてならない。 なんでもかんでも点数をつけ、順位をつければ、好きなものでも嫌いになる子が多くなるのは自明の理。 音楽にしても図画工作(美術)にしても体育にしても、なぜもっと「楽しむ技術」を主眼に教育できないのだろう???
本当はここまで話を膨らませたかったのだが、新聞の字数ではとても無理だった(笑)
● 孝行 実はこの第1回分が新聞に掲載されたころ、義父は末期ガンで死の床についていた。 この原稿が掲載された新聞を見て、ずいぶんと喜んでくれた。 本当ならば『未来者』の放映も見せてあげたかったのだが、すでにその時は30分の番組を見る体力はなかったのだ。 しかし、このエッセイには、赤ペンで添削まで入れてくれたのだった。 涙が出るほど嬉しかった。
大切な愛娘とともに南半球に移住してしまった婿としては、最期にささやかながらも、やっと親孝行が出来たような気がした。
この機会を与えてくださった共同通信社スポーツ特信部には、こころよりお礼を申しあげたい。
ありがとうございました。
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