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『スポーツ随想』第1回










夢 長年抱き続け実現 ――― リュウ・タカハシ

山陽新聞 夕刊 2001年10月22日(月)号


 オーストラリアの南東にニュージーランドという島国がある。面積は日本の約7割、人口は横浜市より少し多いだけの約380万人だ。日本に似た気候風土を持つ、羊とキウィの国。私は北半球の小さな島国から、南半球のこの小さな島国へと移民した。
 実はこの国、「アウトドア超大国」という知られざるもう一つの顔を持つ。日本ではアウトドア大国といえば真っ先に米国が浮かぶかもしれないが、国民の平均的アウトドア度は、実はニュージーランドとは比較にならないはずだ。何せここは「ほとんどの国民が、何らかのアウトドアスポーツをたしなむ」と言われる国。実際国際レースでも恐ろしいほど強い。
 そんな国で、私はシーカヤック・ガイドを生業(なりわい)にしている。アウトドア観光業が国の主要産業でもあるので、シーカヤック・ガイドはいわば花形だ。だから人は私のことを、並み居る白人ガイドたちに劣らぬ体力と運動神経を誇る巨漢、とイメージされるようだ。
 ところが私は身長165センチ。それどころか、幼稚園入園から大学卒業まで、毎月きちんと風邪をひいて数日ずつ欠席するのを常とした、半虚弱児。体育の成績も、5段階評価で3がせいぜい。  だから旧友たちは、今の私の職業を聞くと一様に首をひねる。無理もない。一番驚いているのは、ほかならぬ私自身なのだから。
 体力的には日本人の平均さえ下回る私だったが、実はアウトドアを生業にするのが長年の夢だった。夢のために、一つずつ問題を克服した。「夢は、抱きつづければ、必ず実現する」これが私の信条だった。そして、実現した。
 読者の皆さんにも、エールを送りたい。夢を根気よく抱き続け、温めつづければ、いつか青い鳥がかえるはずだ。私は今もそう信じて、日々次の夢に向かって歩いている。

(シーカヤック・ガイド)

 

顔写真.jpg リュウ・タカハシ 高校時代にシーカヤックを知り、あこがれる。1998年にニュージーランドに移住すると同時に、念願のシーカヤックを始め、その直後に国内最大のシーカヤック・ツアー会社エイベル・タズマン・カヤックスに就職。現在は日本人としては唯一のニュージーランド公式認定シーカヤック資格である「SKOANZレベル1シーカヤック・ガイド」として、毎日のように海に出る専業ガイド生活を送る。岡山市出身、34歳。ホームページは、http://www.onjix.com/paddle










書斎での独白 ――― Ryu H. Takahashi


● 苦しみ

 今年(2001年)4月に、共同通信社スポーツ特信部から
「新聞にエッセイを書いてみませんか?」
との打診を頂いたときは、特に何も考えずに
「はい、はい、やります、やります」
と二つ返事をしてしまったのだが、9月に本格的な執筆依頼を頂いてから、やっと事の重大さに考えがいたり、頭を抱えてしまった。文章は今までにも拙サイトはもとより、GOFIELD.COMのように原稿料を頂いて執筆していた経験があったので、特に深く考えずに返答していたのだが、新聞連載となると、今まで書いてきた文章とは全く次元が違うのだ。 恥ずかしながら、いざ執筆という段になって、そのことに気がついたという次第。

 新聞、しかも一般紙への連載だから、読者層は今まで書いてきたように、一部の好事家とはまったく大違い。趣味を同じくする人たちだけが分かる内容や言葉遣いでは全然ダメなのだ。対象年齢層も、慣れ親しんだウェブ・コンテンツと比較すると、かなり高いところに設定しなくてはならない。
 つまり、大命題は『アウトドアに特に興味を持たない高齢者層にも理解でき、楽しめる文章』なのだった。

 苦しみました、ハイ・・・。
 そもそも、トピックを絞る段階で大いに苦しんだというのに、書き始めてからも言葉遣いに苦しみ、そして「12文字 * 60〜65行」という短い字数制限にも大変苦しんだ。
 拙サイト読者諸兄ならばご存知の通り、私の文章は長い。 そして、ちょっとでも文章をお書きになる方はご承知の通り、長い文章よりも短い文章の方がはるかに大変なのだ。 しかも、拙サイトに書き散らす駄文と違い、原稿料を頂いた上で全国の読者の目に触れるものだから、気の遣い方も比較にならない。
(この『書斎での独白』など本文である『スポーツ随想』よりはるかに長いが、実を言えば半日足らずでさっさと書き上げてしまったものだ(^_^;  新聞連載に比べれば、なんと気楽なことか!)
もともと文才など大してあるとは思ってはいなかったのだが、ここまで文才がなかったのかと、頭を抱える毎日が続いたものだった。

 しかしながら、大変勉強になるのは明白。 一日一日文章力がアップしていくのが分かり、これは楽しかった。
 さらに、文章修行というだけに止まらず、これは私の本職であるガイド業の修行にもなるのだ。 私は「専門知識、専門技術を与えるインストラクター」ではなく、「どんなお客様でも楽しませるガイド」であるから、「一般読者を相手に簡潔に、なおかつ楽しい文章を書く」という作業は、仕事のポリシーとも根底では繋がってくるというわけだ。
 だから、苦しみつつも、またとない修行の機会ととらえて、自分のレベルアップを楽しく観察しつつの執筆となった。
(しかし、まだまだ「簡潔で楽しい文章」からは程遠い・・・。)

 いやぁ、しかしながら、いささかシンドかった! 今読み返しても、どうしても言いたかったのに字数の関係で言えなかったことが目についたりする。 例えば、「国民の平均アウトドア度を比較すれば、米国よりもニュージーランドの方が上だ」とした下りなどもそう。 心情的には米国のフォローもしたかったので、アウトドア・グッズ開発の点では、ニュージーランドは米国の足元にも及ばない旨も書きたかったのだが、字数の関係でどうしてもかなわなかった。 本旨には無関係だから、ないほうがかえってスッキリするのは分かっているのだが、まだどうしてもそのあたりが割り切れないのだ。

 2001年12月現在、第3回目原稿を提出し終わっている段階なのだが、すでに次回原稿のことであたまはいっぱい。 駆け出しライターの苦しみは、これからまだまだ続くようだ・・・。



● 校正

 実は、自分の提出原稿と掲載原稿をきちんと比較してみたのは、今日が初めてだった。 改めて比較してみると、本当に些細な部分だけにしか手が入っておらず、提出原稿の原型を完全に止めたものとなっていた。 正直ホッとした。

 ただし、字数を稼ぐために多用した難しい漢字は、大部分が仮名に直されていた。 やはり、読みやすさを優先すべきであったと、反省しきり。
 いつか、提出原稿がまったく校正なしで、そっくりそのまま掲載される日が来るのだろうか? 今後の目標としておこう。

 あ、そうそう、言い忘れていたが、上に掲載したのはもちろん校正済みの新聞掲載原稿の方。 ディレクターズカット版は、公開の予定はない(笑)

 ちなみに私自身がつけていた原題は『夢』。 他の新聞社のつけたタイトルは

 『夢は必ず実現する』 (高知新聞 夕刊 10月12日号)
 『夢実現あきらめないで』 (河北新聞 夕刊 10月20日号)
 『抱きつづけた夢を実現』 (北日本新聞 夕刊 10月19日号)
 『長年の夢 抱き続ければ必ず実る』 (南日本新聞 夕刊 10月18日号)
 『抱き続けれた夢はいつか実現』 (熊本日日新聞 夕刊 10月22日号)

など。

 《追記 (2002年12月19日)》

 さらにもう2紙入手できたので、ご紹介しよう。

 『夢抱いて』 (神戸新聞 夕刊 11月19日号)
 『夢を抱き続けて実現』 (秋田さきがけ 10月16日号)


 これだけ似たようなフレーズを順列組み合わせしてるのに、同じタイトルが1つもないのは興味深い。 しかし、さすがは神戸、短くオシャレなタイトル!



● ペンネーム

 Ryuという名前は、NZでは公式に登録しているので、いまや本名として使っている(日本の公式文書を除く)。 しかし、これは生まれたときに親に貰った名前ではなく、もともとは中学時代に友人から頂戴したニックネームだ(由来はよく覚えていない)。 だからよく
「どういう字を書くのですか?」
ときかれるのだが、自分自身としては『字のない音だけの名前』というイメージが強く、以前はよく答えに窮していたものだ。 自分にとっては、漢字ではなく、ひらがなでもなく、ましてやカタカナでもない名前だったのだ。 だから、20年以上ずっとRyuというローマ字表記をとってきていた。 これが一番シックリ来る表記法だったのだ。

 ところが今回は新聞連載ゆえ、横書きのローマ字表記が使えなかった。 共同通信社との相談の結果、ペンネームはリュウ・タカハシとなった。

 ちょうどその頃収録のあったテレビ朝日の『未来者』出演時も、この名前を使用したのだが、
「スキャンしてテロップとして使いますから、自筆で名前を書いてください。」
と言われ、生まれて初めて『リュウ・タカハシ』と自分の手で署名したときは、他人の名前を書いているような強烈な違和感を覚えたものだった。しかし、早いもので、わずか2ヶ月少々の間にすっかり慣れてしまった。 やはり、人間は慣れる動物なのだ。

 ただ、いまだにシーカヤックガイドとしてはRyuであるという感覚が強い。 NZの現地会社でキウィの同僚に混じり、欧米人のお客様を相手に仕事をしている以上、日本語の『リュウ』ではなく、英語の『Ryu』である、という意識なのだろう。 実際、英語には「りゃ行」の発音はないため、Ryuの発音は「リユー」になってしまう。 断じて「リュウ」ではないのだ。

 だから、今のところ、文を書くときは『リュウ・タカハシ』、パドルを握るときは『Ryu』という風に、自分の中で名前が分裂してしまったような奇妙な感覚を覚えている。 この変な感覚が、今後自分の中でどのように育っていくのか、それとも収束していくのか、非常に楽しみにしている。



● 体力

 新聞でお読みになった方から「本当に半虚弱児だったんですか!?」とのご質問をうけるようになった。 これがウソもイツワリもない本当の話なのだ。 実をいえば大学卒業後も四六時中風邪をひいており、年に1度や2度は病欠して、職場にご迷惑をおかけするのが常だった。 NZ渡航直前まで、ずっとそうだったのだ。

 運動嫌いだったというのも本当。 小学生の頃剣道をやっていたので、剣道をやる学期だけは5段階評価で5をもらっていたものの、他の学期はたいてい3。 苦手な球技(サッカーやバスケットボールなど)がメインになる学期は2をもらうこともあった。
 特に何が嫌いって、走ることほど嫌いなことはなかった。 だから、 体育の授業は本当に大嫌いで、体育会は欠席したくてしかたがなかったし、マラソン大会なんて3日前から微熱が続くほどだった。

 ところが、NZでシーカヤック・ガイドという、運動好きでさえ音をあげるような仕事をするようになって、自分は運動嫌いでも虚弱児でもなかったことに気付いた。 結局好きなことならば、人間想像以上のパワーが出るものだし、嫌いならば実力の半分も出ないものだと、改めて痛感した次第。

 しかし、日本人は私に限らず、運動嫌いが多い。 このサイト内でも「日本人は体力がない」と、しばしば書いてきたが、そもそも体力以前に運動そのものを嫌っている民族のようだ。
 私の見るところ、どうも世界一の運動嫌い国民かもしれない。 日本人のお客様からよく頂く質問に、
「シーカヤックってしんどくないですか?」
というのがあるが、これは他の国からのお客様の口からはまず聞かれない言葉だ。 いかに日本人が心拍数を上げたり汗をかいたりすることを嫌っているかを、如実に物語るエピソードかもしれない。

 自分自身もそうだったから、気持ちはよく分かる。 これはやっぱり教育に起因しているような気がしてならない。 なんでもかんでも点数をつけ、順位をつければ、好きなものでも嫌いになる子が多くなるのは自明の理。 音楽にしても図画工作(美術)にしても体育にしても、なぜもっと「楽しむ技術」を主眼に教育できないのだろう???

 本当はここまで話を膨らませたかったのだが、新聞の字数ではとても無理だった(笑)



● 孝行

 実はこの第1回分が新聞に掲載されたころ、義父は末期ガンで死の床についていた。 この原稿が掲載された新聞を見て、ずいぶんと喜んでくれた。 本当ならば『未来者』の放映も見せてあげたかったのだが、すでにその時は30分の番組を見る体力はなかったのだ。 しかし、このエッセイには、赤ペンで添削まで入れてくれたのだった。 涙が出るほど嬉しかった。

 大切な愛娘とともに南半球に移住してしまった婿としては、最期にささやかながらも、やっと親孝行が出来たような気がした。 この機会を与えてくださった共同通信社スポーツ特信部には、こころよりお礼を申しあげたい。 ありがとうございました。








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