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◆ インストラクターとは?
さて、これまでに何度か『ガイドとインストラクターの区別がついていない』と述べた。
私が気付いた日本の不思議な傾向は今までにもいくつか挙げてきたが、これもまたその中の1つだ。貴方はキチンと両者の違いを定義できるだろうか? 前項その2 プロとは?の中で ガイドの仕事は、『啓蒙、教育』ではなく、『サーヴィス提供、娯楽提供』だ。
と書いた。
これに異論を感じた方も少なく無いのでは無いだろうか? じゃぁ、前項に倣って、今回プロのインストラクターの『定義』及び『条件』を挙げてみよう。
定義:
条件: これだけである。 物凄く極端な事を言えば、ファースト・エイド技術を教える事が出来れば、インストラクター本人はファースト・エイド技術が無くても構わないし、ロールを教える技術があれば本人はロール出来なくても良いわけだ。 プロボクシングの世界チャンピオンを輩出する名トレーナーが、必ずしも元世界チャンピオンとは限らないのは誰もが知る所だ。 『教官』という仕事は、自分の持つ能力自体よりも、生徒に技術を身につけさせる能力の方が問題となる職業なのである。 逆にガイドの場合は、教えられなくても良いから自分自身がこなせる、というのが大前提になってくる。 ここに根本的な差があるのだ。
もう1つ例を挙げよう。
前項ではシーカヤック・ガイドはバスガイドと同じだと書いた。
その例に沿ってバスガイドの仕事を見てみよう。
バスガイドの仕事の1つに、名所旧跡の歴史の説明がある。
だが、その名所旧跡の歴史を教える事を専門にしている職業も、また別に存在する。
高校の歴史の先生などがそれだ。
つまり、これがインストラクターなのだ。
だから、さらに極端な話をすれば、ガイドと違ってインストラクターはクライアントを楽しませる事にそれほど気を配る必要は無いとも言える。
鬼軍曹方式に、怒鳴りつけ、叱りつけ、殴りつけてでも、技術を叩き込めれば、それはそれでキチンと仕事をしたともいえるのだ。
まぁ、実際にそんな方式で『満足』するお客様もそうそういらっしゃらないだろうから、これは極端過ぎる例ではあるが、でも極論すれば結局そういう事なのである。
ガイドには絶対に許されないスタイルだが、インストラクターなら通用する可能性のあるスタイルだ。
と照らし合わせて、インストラクターの条件を極論するとすれば、絶対に必須なのは3.のインストラクション技術だけ、という事になってしまう。 前述の通り、他の技術は自分自身は身に付けていないけれども、教える事さえ出来れば良い、という理屈になるからだ。
もちろん、実際には全く身に付いていないものをキチンと教える事は不可能なので、現実に即した話をすれば、インストラクターもガイドと同等の技術を身に付けておく必要はある。
特にインストラクションの中心となるパドリング技術やレスキュー技術は、ガイド以上に美しく完璧な技術が要求されるだろう。
そして、それらに関するインストラクション技術は、ガイド以上にシンプルかつシステマティックな、非常にシビアなものが必要になってくるだろう。
え?オレはインストラクターだけど、食事を用意してクライアントに食べさせている、だって? ◆ ガイド>インストラクター ここまで書けば、なぜ今まで私が『ガイド』ばかりを強調してきたかがお分かり頂けるかと思う。 要はガイドの仕事はインストラクターの仕事を含んでいるからなのだ。 つまり、ガイドの仕事を細かく分けて見てみると、
などのように、1日のツアーの中でも数多くの業務内容をこなしている訳である。
だから、キチンとガイドの仕事がこなせるならば、インストラクターの仕事もこなせるはずである、というのが私の持論なのだ。
『超一流のガイド』とは、『一流インストラクター』であり『一流ツアー・コンダクター』であり『一流コック』でありetc・・・、という人の事を言うのである。
今まで
ちなみに私自身は、何度も何度も申し上げている通り、あくまでもプロガイドである。
もちろん、朝ツアー出発前にパドリングのレッスンをしている時は、確かにインストラクターの業務をしているという自覚はある。
それでも私自身の職業が何かと問われれば、断じてインストラクターではなく、ガイドなのである。
インストラクションもガイドの業務のうちの1つとしてこなしているだけである。
◆ ガイド・ツアーとスクールのケジメ 今までくどくどと両者の違いを述べ、さらにケジメをつけろとまで言ってきたが、それでは、その差違を意識してケジメをつける事の実質的な意義はどこにあるのだろうか? その1 はじめにの中で
情報が集まるにつれて と記した。 実はこの『ガイドとインストラクターの区別』が、『ガイド・ツアーとスクールのケジメ』に直結するのだが、日本の場合はそれが曖昧らしいというのも、この「仕方ないなぁ」の根拠の1つなのだ。
ハッキリ言ってしまえば、クライアントの本音は
NZの場合は、この『お手軽なツアー』にトコトン特化し、毎日来ては去る世界中からの観光客を相手に、素人をとことん楽しませるためのプロフェッショナル・ガイドを育成してきた。
そしてメッカであるここエイベル・タズマン国立公園には13もの会社がひしめき、石を投げれば専業プロガイドに当たる、っていうほどの恵まれた環境を生み出すにいたっている。
これは勿論地域性や文化背景の違いに起因するので、良い悪いという問題ではない。
ただ、日本のやり方をとると、NZのやり方に比べて敷居が高くなり、結局固定客の確保も難しくなってしまうというデメリットがある事はキチンと意識しておくべきだろう。
その2の中では『講習 → ツアー』という営業形態自体は尊重する旨を書いたが、しかしながらこの形態が必ずしもマーケットの拡大のために一番効果的な方法だと思っている訳ではなく、むしろ私自身は別の方法論を持っている、ということは付け加えておこう。
ところが、実際にはインストラクションとガイディングの区別もつかず、楽しませるためのツアーなのか、インストラクションのために海に連れ出したのか、そのどちらとも判然としない中途半端なパドリングになってしまっていないだろうか?
いや、これは日本のガイド・ツアーを一度も見た事が無い以上、あくまでも単なる憶測である。
しかし、根拠となる情報を集めた上での、かなり的を得たと自負している憶測だ。
予めこの意見をぶつけてみた某アウトフィッターのスタッフの方からも、
もっと具体的に「どういう風にケジメをつけるべきか?」を記すことも出来るが、正直言って現段階でここに書いても、読者の方に受け入れて貰えるかどうかが怪しい。
まだ書く段階ではないと判断して、今回は割愛する。
むしろ、ここから先は、ワークショップで直に顔を合わせて意見交換、討論すべきところだろうから、その場に譲る事にしよう。 さらにインストラクター諸氏が眉をひそめそうな意見をもう1つ付け加えておこうか。 道具の選択だけではなく、同じインストラクションをするにも、ガイド・ツアー用のトークとスクール用のトークでは、違うことを言わなくてはならない事もあるのだ。 ガイド・ツアーの場合は必ずしも『正しいテクニック』を教える必要はないし、優秀なガイドほど教える事を最小限に押さえる傾向がある。 不必要なことをダラダラと教えるのは駆け出しの証拠である。 ガイド・ツアーの場合に必要なのは『正しいテクニックの講習』ではなく、『その日のツアーを楽しく安全に終了するのに必要な、最低限レベルのテクニック』であり、極端に言えば邪道でも構わないのだ。
例えば、我が社の場合、クライアントを相手にする時は『ライフ・ジャケット』という言葉を使う。
本来ならこれは『ボイアンシー・エイド』(日本やアメリカ風にいうなら『PFD』)であり、正確に言えばライフ・ジャケットとは似て非なるものである、なんて事は本稿の読者には、釈迦に説法であろう。
しかし、ガイド・ツアーのクライアントにそんな違いを教える事は不要どころか混乱を招くだけの有害な事なのである。
だから、私はクライアントの前では絶対に『ボイアンシー・エイド』という言葉は使わない。
同僚同士で喋る時は、もちろん『ボイアンシー・エイド』としか言わない。
これがガイドである。 だから、あくまでも正しい名称、正しいフォーム、正しいテクニックしか教えたくないなどという人は、やはりガイドには向いていない。 インストラクター止まりだろう。
ケジメをつける事の意義がご理解頂けただろうか?
こういう事をキチンと意識した上で仕事をしないと、本当の顧客満足は得られないと思う。
細かいことではあるが、こういう細かい事の積み重ねこそが、サーヴィス・レベルを左右するのだと、私は信じている。
食える、食えないの境目は、案外こんな所にも転がっているのではないだろうか?
もちろん、これだけが要因だとは言わないが・・・。
◆ ホントにガイドになりたい?
さて、プロガイドの仕事というものがいかなるものか、ここまでお読み頂いて大体の事がお分かり頂けたのではないかと思う。
今までの認識とあまりにも掛け離れた内容に、脳味噌がパニックを起こしている方もいらっしゃるかもしれないし、拒否反応を起こしてしまった方もいらっしゃるかもしれない。
ただ、こちらのプロに共通しているのは、『客商売、サーヴィス業のプロフェッショナル』という事を明確に意識している点だ。
そして、こうした点でプロの仕事を徹底しようとすると、自分自身のパドリングの楽しみは犠牲にせざるを得ないというのも事実だ。
そして、そういうスタイルの産業が成功し、NZにはこれ一本で食っている専業プロがゴロゴロしているというのも、また事実なのである。 だから、私の意見でパニックになってしまわれた方はもちろん、シーカヤックが大好きで大好きで、毎日漕いでいたいからプロになりたい、という動機でプロを志望されていらっしゃる方は、もう一度じっくりと考え直した方がいいかもしれない。 プロガイドの仕事とは、シーカヤックの楽しみを言わばある程度放棄することによって成り立つ仕事なのである。 シーカヤック自体を楽しむのではなく、クライアントに楽しみを提供する事を喜びと出来る人で無いと、到底務まらない仕事なのである。
到底務まらない、といえば、いきなり現実的な話で申し訳無いが、それこそ身体だけとったって、相当にキツイ肉体労働なのだ。
え?週末だけのプロガイドを目指してるから、問題ない? ま、週末プロの是非自体はともかく、プロガイドの仕事の本質として、パドリングの楽しみ自体はある程度放棄せざるを得ないということは、キチンと覚悟しておくこと。 パドリングの楽しみだけを求めてプロガイドの世界に足を突っ込んだとしたら、それこそ拷問と言っても過言ではないかもしれない。
ついでだから、皆さんにとってあまり嬉しくない情報を1つ提供しておこう。
こちらのプロ達も、一生この仕事を続けていく人間は実はほんの一握りだ。
せっかく苦労して修行し、せっかく大変な労力をかけて資格をとり、せっかく経験を積んで一人前になっても、こうした精神面、肉体面両面に渡る激務に疲れ果てて、数年でこの世界から足を洗っていくヤツが後を断たないのだ。
10年続くヤツは、稀かもしれない。
私の場合は、最初から『プロのシーカヤック・ガイド』という職業に憧れ、プロガイドになるためにカヤックを習い始めた。
だから、私にとってシーカヤッキング、パドリングと言うのは元々こういうもの、つまりプロガイドとしての自己犠牲型パドリング、サーヴィス提供型パドリングが、私のスタイルのそもそもの原点なのだ。
別の言い方をすれば、私はアマチュアとしての『純粋な個人的な楽しみのためのパドリング』を、後から学んだのである。
だからいまだにたまに1人で漕ぐと、クライアントがいないことに不安感を感じてしまうほどなのである。
1人でいる事に対する不安感ではない。
『面倒を見るべき相手がいないという不思議な状況』に対する不安感なのである。
そういう意味では、こちらのプロの中でもやはり少々特殊な部類に入るのかもしれない。
シーカヤックの虜になって趣味が嵩じてプロになったのだったら、私とておそらくここまでプロ意識が徹底しなかっただろうと思う。
シーカヤックが心から大好きになったのは、プロになって随分後の事だ。
正直に言えば、最初はツライばかりだった。
他人様の生命をお預かりする重圧にうなされて眠れない夜が続き、パドリングを楽しむ余裕など全く無かった。
本当に楽しいと思えるようになったのは、プロとしてかなり余裕が出て来てからのことだったように思う。
さぁ、ここまで読み進めてきた貴方、それでもプロガイドになりたいですか?
言うまでも無いが、ここに書いたことは私が思っていることの一部である。
ここでは全く触れていないが、『食えるようになるためのノウハウ』に関する具体的なアイディアも、私は実際にいくつかあたためている。
本当にやる気を出す方には、それなりのお手伝いをさせて頂くつもりだ。
でも本当に共感して下さった方にとっては、非常に遣り甲斐があるはず。
ワークショップで実際に額をつき合わせ、ホンモノのプロになるためのノウハウ、食えるようになるためのノウハウのアイディアを交換し、実践し、皆で力を合わせてレベルアップしよう!
今のような小さなマーケットの中で、セコイ足の引っ張りあいをしている場合じゃない。
そんな不健全な事をしていたら、ますますマーケットは萎縮するに決まっている。
アイディア、ノウハウを共有することによって業界を清浄化、正常化してマーケットをドデカく拡大し、各人もとことんレベルアップして皆揃って一流プロフェッショナルになり、そこから正々堂々と競争出来るようにする。
一緒に修行した仲の同志達が、各地で世界的プロフェッショナル同士として正面から思いっきり張り合い、それがますます業界を活性化させていく。
これは文句無く面白い! 現在の日本のシーカヤック界でも、NZのSKOANZのような統一的な組織、資格、ガイドラインのようなものを作ろうとする動きが全国各地で起こっているという話だが、結局足の引っ張り合いで上手く行っていないという哀しい情報しか入ってこない。 この問題も、ワークショップで共に学んだ仲のホンモノのプロが全国でリーダーシップを取れるようになれば、自然と解決するに決まっている。 プロのガイドラインなんて、ホンモノのプロが集まって話し合えば、落ちつく所に落ちつくに決まっているのだ。 これが落ちつかないと言う事は、ホンモノじゃないっていうことだ。 だから、この問題に付いても私自身は楽観視している。 自分のヴィジョンの延長線上に、その日本版SKOANZ(言うならばSKOAJか。どう読むんだろう(^_^;???)も自然と現れてくるはずだろう。
このヴィジョンに賛同してホンモノのプロを目指す同志、求む! ◆ 最後に
前にも書いた事だが、最後に念の為、もう一度。 これは、無責任に書き逃げしようというつもりで言っているのではない。 書いたものには責任を持つ。 ただ、今回の場合は、議論に応じる事が責任をとる事にならないのだ。 今回の文の中では、私は誰も攻撃していない。 だから、誹謗だ中傷だ、などという批判も当てはまらない。 だから、責任は持つものの、その手の低レベルな議論には絶対に応じない。 なぜ議論に応じる事が、責任をとる事にならないのか? そもそも、全く議論になるはずがないのが明白だからだ。 建設的な議論になるはずがないのなら、お互いのために無駄な労力と時間を割いてまで不愉快な思いをする事を避けよう、という主旨である。 水掛け論ほどアホらしいモノは、この世の中に存在しない。
アマチュアにしろ、似非プロにしろ、要は『非プロフェッショナル』の方にとっては、ここで私が論じたことはすべて無縁の事ばかりである。
無縁の事を論じられる人はいない。
それを無理に論じようとすれば、必ず論旨は破綻する。
要は、私と同じ土俵に立たないと、同じレベルで論じる事が出来ないのだ。
無縁な者が同じ土俵に立てるはずがない。
無縁である事を理解できない方は、論じられない事を理解出来ないままに議論をしようとするだろうが、そうして生まれてきた破綻した論旨につきあう暇はない。
破綻した議論に真面目に付き合うと、まず相手に自身の論旨の破綻個所を理解してもらうところから始めなければならない。
この長文を読んで理解できない方に、改めて破綻個所を指摘したからといってご理解頂けるとは思えない。
そして、私の場合は本文中に記した通り、シーカヤックを趣味としたアマチュア経験が皆無のため、非プロフェッショナルの方の論旨は、仮に破綻していないとしても、おそらく本当の意味では私には理解出来ないだろう。
自分が通っていない道の事は、本当にはわからないのだから。
プロの土俵を知らないアマチュアと、アマチュアの土俵を知らないプロが、どこでどう戦えというのだ? ちなみに、今回もこの『プロガイド論』に対しては責任を持つと書いたが、その責任とは、
この2点だと思っている。 反論に応ずる事は、完全にこの責任の範囲外だ。
というわけで、この『プロガイド論』に関しては、私としては非常に例外的な事だが、反論、批判の類を一切歓迎しないというのを基本姿勢とさせて頂く。
仮に頂いても申し訳ないが黙殺させて頂く事になるので、その旨予めご了承頂きたい。 逆に、本旨にご賛同頂いた同志、有志の方々からの、質問、意見、リクエスト、提案などの建設的なモノは大歓迎。 掲示板でもメールでも、どんどんお寄せ頂きたいと思う。 『後輩の育成に尽力』という責任を、精神誠意、トコトンまでとらせて頂く覚悟だ。 |
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