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危機管理考


その1 身近な例から







* これは元々Aotearoa MailProfile & Essayに掲載した2000年2月29日付けのエッセイだ。 大変な長文だが、貴重な好例なので加筆訂正の上、ここに再録することにした。



 Kiwiスノーボーダーの八方尾根の雪崩事故、まだ発見され無いようだ。 地上捜索が打ちきられたという悲しいニュースも入って来た。 奇跡の生還を祈る。

 商売柄『危機管理』は常に頭の片隅にあるわけだが、この事故でまた改めて考えさせられた。 おりしもそんな時期に、日本の雪崩事故を知ってか知らずか、とある日本人のお客様から当社にお問い合わせがあった。 英語があまり得意ではないという事で私が応対したのだが、これがタイムリーにも(?)危機管理能力に疑問のある方からのお問い合わせだったのだ。 危機管理能力に関しては非常に象徴的な事例だと思うので、ご紹介しよう。

 詳しいことはエイベル・タズマン・カヤックス日本語サイトをご覧頂くと手っ取り早いのだが、当社は大きく分けて『ガイド・ツアー』と『カヤック・レンタル』の2通りのコースをご用意している。 当然料金はレンタルの方が安いのだが、危険度もレンタルの方が当然に高くなるため、ある程度の経験のある方にしかレンタル出来ない。 一昨日お問い合わせを頂いた日本人のお客様は『アウトドア及びキャンプの経験ほとんど無し、シーカヤッキング経験は1時間、レンタルのための講習会を理解するだけの英語力も無し』という方だった。 彼ら2人組の希望は2泊3日のレンタル。 もちろん当社の安全基準からすると、これだけ『無い無い尽くしの3拍子』揃ってしまっているお客様に艇をお貸しするわけにはいかない。 私は
「命に関わるので艇はお貸し出来ません。3日ガイドツアーの方はいかがですか?」
とお薦めしたのだが、彼は
「自分達が基準を充たしていないのは分かりましたが、それならどうしたら基準を充たして貸してもらえるようになるのか教えて下さい」
とおっしゃる。
「ある程度の時間数さえこなせばいいんですか?それとも他に何か別の基準が要求されんですか?」
としつこく訊かれるので、
「3日も海にいれば、当然悪天候に遭遇する可能性も高いです。要は、まずその悪天候を予想できるだけのアウトドア経験が必要ですし、万が一沈した場合に自力で再乗艇する技術も必要になります」
とご説明した。 そうすると
「では、その再乗艇の方法を知っていればいいんですか?」
と来る。 本読んで来て「知ってます」っていわれても困るんで、
「知っているだけではいざという時に実際には絶対に出来ません。訓練を繰り返して、必ず成功させる技術が必要です」
と申し上げると
「では貴社でそのトレーニングをお願いできませんか?」
とのこと。

 彼の積極的な前向きな姿勢自体は評価するに値するといえるのだが、その向いてる先が命の危険に自分をさらすことなんだから、これは決して褒められることではない。 さらに、日本のカヤック・ショップさんなんかの場合はツアーもスクールもやってらっしゃるのがほとんどだろうが、当社は完全にツアー専門の会社なのでテクニック講習もカヤック販売もやっていない。 もちろん、特別に講習をアレンジする事自体は不可能ではないのだが、1年のうちで一番の繁忙期にテクニック講習に回せるような艇は残っていない。 まぁ隠すような事ではないので、結局私も所属しているNelson Canoe Clubのエスキモーロール講習をご紹介した。 そして最後に
「そこまでしてまでお2人だけでシーカヤックされたいんですか?ガイドツアーではお気に召しませんか?」
と伺ったところ
「いえ、予算が・・・」
とのお答え・・・。

 当社の3日ガイドツアーは$295、2泊3日レンタルは$135、その差額は$160だ(1999-2000年シーズン)。  実際にはレンタルの場合はカヤッキング用具、キャンプ道具等のレンタルにもお金がかかるので、差額は$100少々になるだろう。 もし当社が仮に彼等の希望通りレスキュー講習会をやるとすればそれにもお金がかかるわけだから、差額はさらに小さくなる。 Nelson Canoe Clubにしたって、確かビジター料金で1回$15はかかるはずだ。 つまり実際の差額は高く見積もっても$100程度。 これは現在(2000年2月)の為替レートで計算するとせいぜい\6,000弱、少々色を付けたところでせいぜい7〜8,000円程度のものである。
「7〜8,000円のお金と引き換えに命を落とすことは無いんじゃないですか?わざわざ外国まで来て、それだけのお金の為にシーカヤッキングごときで死ぬなんて、ホントにバカバカしいですよ」
と申し上げた。 これは会社の立場の意見と言うよりも、私個人の本音である。

 ホントにカヤッキングに打ち込んでいるシーカヤッカーが、命の危険を承知の上でそれなりの危機管理に基づいて綿密に準備をし、エクスペディション(冒険)に乗り出すというんだったらもちろん諸手を挙げて応援する。 技術が高まればそれに応じて技術を発揮できる条件を求めるのはいかなる世界でも同じこと。 アウトドアの世界の場合は、技術が高まれば高まるほどに危険なフィールドに向かわざるを得ないというジレンマを抱えているのだが、これ自体は否定するわけにはいかない。 要はきちんと危機管理をした上でのエクスペディションなのか、命知らずのアホの無謀な自殺行為なのか、その差が出て来るだけの話。 後者は糾弾されてしかるべきだが、前者は個人的には応援したいと思っている。

 しかし『これからちょっとシーカヤックをかじってみようか?』っていうレベルの方がたかだか$100少々のお金をケチって命の危険を犯すのを黙って見過ごすわけにはいかない。 これは明らかに『命知らずのアホの無謀な自殺行為』に属する行為だ。 しかもご本人はいたって無邪気な右も左もわからない素人さん。 どうしても止めるのが私の役目だった。

 このやりとりで何よりも気になったのは、彼のシーカヤック、あるいはアウトドアに対する姿勢だ。 彼の口調は非常に紳士的であり、一見(一聞?)非常識な印象は受けないのだが、こちらのいう「危険だから止めておきなさい」という助言を一向に聞き入れようとしない態度には驚きを禁じえなかった。 素人の方ゆえ、ご自身で危機管理が出来ないのは当然といえる。 よって、「レンタルをしたい」という申し出までは問題ない。 しかしプロが「危険だ。止めろ」といいつづけているのに諦めない態度は、はっきりいって私の理解を遥かに超えている。 『危険だ』という事実を知っていただきたかったので、過去の死亡事故例をご説明申し上げたが、それでも「レンタルしたい」という意思には変化がないような印象だった。

 ま、最終的には
「分かりました。検討してまたご連絡します。」
とのことだったが、果たして検討の内容が「レンタルは諦めた上でガイドツアーに参加するか、否か?」なのか、あくまでも「レンタルを取るかガイドツアーをとるか?」なのかは定かではない。 前者であることを祈るばかりだ。 ちなみに2日経った今日の段階では、まだ連絡は入っていない模様。
(追記:結局このお客様からはその後連絡はなかった。 安全基準の低い他社でレンタルした可能性が高いと思われる。 事故の報告が無かったのでホッとしている。)

 私は過去再三NZ-MLなどで『シーカヤックは最も安全なアクティビティだ』と申し上げて来た。 しかし無経験の方達だけで海に漕ぎ出すとなると当然話は違ってくる。 正しく申し上げれば『ちゃんとしたガイドが引率するガイドツアーの場合、シーカヤックは最も安全なアクティビティである』となる。 ラフティングの場合と違ってシーカヤックの場合はガイドの技術を超えた危険な状況になることは極めて稀であり、あり得るとすればカヤッキング自体とは無関係の突発的な病気や事故(例えば心臓発作、有毒生物に刺される、ビーチで遊んでいて怪我をするetc)になってくるはずだからだ。 つまりこのような不測の事故にも対応出来る能力を持ったガイドが引率した場合には、シーカヤックはほとんど危険の無いアクティビティとなるのである。 『シーカヤックは安全なアクティビティだ』という認識が日本人の中に浸透して来たんだったらそれは大変に喜ばしいことではあるが、しかしながら彼の場合プロの私が「命に関わりますからお止めなさい」といっているのに、どうもそれがピンときていなかった模様。 これは一体何なんだろう?

「そんな危機管理能力ゼロのヤツは特別。例外だよ。」
と思われる方、あなたは半分正しい、しかし残念ながら半分は間違い。 正しいっていうのは、あなたが彼のことを『危機管理能力無し』と判断した点のこと。 そして間違いっていうのは、『彼が例外』だと思ってらっしゃる点。 実はこの手の話は枚挙に暇が無いのだ。 まるきりアウトドア経験が無かったのに、初めてちょっと体験した時にたまたま天候に恵まれたために、「あんなもん、楽勝だよ!」と言いまくる(信じてしまった)人。 それまでたまたま好天しか体験していなかったのに「オレはこのフィールドは常連だ!よく知ってるんだから口出しするな!」という人。

 NZはアウトドア天国だ。 アウトドア超大国といっても差し支えないだろう。 アウトドア・アクティビティ全般に関して敷居が非常に低いため、日本でアウトドアに憧れつつもなかなかきっかけがなかったという方がアウトドア初体験するというパターンも非常に多い。 その結果、『楽勝じゃん!』がはびこっているという悲しい事実があるのだ。 そして、これは何もNZの中だけに限った話ではないはずだ。 そういう意味で、1999年8月の玄倉川の事故もたまたま起こったわけではなく、起こるべくして起こってしまったように思えるし、類似の事故はこれからも起こる恐れは充分にある。 今回のレンタルの件は、まさにその類似事故の入り口だったといえるかもしれない。

 我々戦後世代は『川は危ない、近付くな』と言われて育ってきた。 そして、『日本は世界一安全』『安全はタダ』と信じて生きてきた。 つまり我々が身に着けている危機管理方法は『危険といわれているものには近付かない』という『君子危うきに近寄らず方式』だけなのだ。 これはもちろん危機管理技術の1つであり、実際に生涯ずっとその危険に近付かない限り有効である。 しかし川を目の前にしてしまった場合はもう通用しない。 川を目の前にしてしまったら、その時点から別の危機管理技術が必要になる。 そして、我々は悲しいかな、そのノウハウを身につけずに大人になってしまっているのだ。 なんせ我々には恐ろしいことに『実際に何がどう危険なのか?』を見分ける能力さえないのだ。 つまり『実際に川の中に入った時の危機管理方法』を知らない大人は、6歳児となんら変わるところがないのだ。 素直に他人の助言を聞けなくなっており、図体もでかくなっている(レスキューしにくい)分、6歳児よりも劣っているといえるかもしれない。 『川』を例に挙げたが、もちろんこれはすべての危機、危険に当てはまる事である。

 問題は危機管理方法を身に着けていないことではない。 今身に着いていないんだったら、これから身に着ければいいだけの話だ。 厄介なのは、現代の日本人の場合、『危機管理能力が欠如しているという自覚がない人』が非常に多いことだ。 自覚していれば伸びる余地がある。 しかし自覚が無ければ改善の余地は皆無だ。
「シーカヤックをレンタルしたい」
と言いつづける彼と話をしていて、このことをつくづく痛感した。 こちらも商売なので、
「あなたには危機管理能力欠如の自覚がありませんね」
というわけにもいかない。 辛い所である。

 先ほども申し上げた通り、命を賭けてまで打ち込んでいる人間が覚悟の上でフィールドで命を落とすのはある意味仕方ないし、否定したくもない。 もちろんレスキューのことや残された家族友人などのこともあるのですすんで奨励できるわけではないが、しかしながら自分の技術を遺憾無く発揮したいという気持ち自体は尊重してあげたいと思うし、それに見合う危機管理能力を持ち、万が一の場合にも備えたうえでフィールドに向かう方には尊敬の念も抱く。 しかし、趣味、あるいは体験程度のアウトドアで命を落とすほど馬鹿げた話はない。 そして、アウトドアの死亡事故の大半はこの趣味、体験レベルの方なのだ。 プロはほとんど死なない。

 皆さん、くれぐれもお気をつけ下さい。 イマジネーションを逞しくし、なるべく悪い状況を想像してみて下さい。 そして、「その万が一の最悪の状況を予測して避ける技術が自分にあるか? あるいはその最悪の状況に遭遇してしまったとき、乗りきる技術、精神力、体力が自分にはあるか?」よぉく考えてみて下さい。 日帰りの裏山の散歩だって、悪い状況が重なれば死ぬのだ。 毎年、山菜採り、キノコ狩りでどれだけの方が遭難されている事か!

 そして、このことは何もアウトドアに限った話ではなく、日常生活や海外旅行の際にも同じことだという事もよく覚えて置いて下さい。

 偉そうな事を書いて来たが、私自身皆さんと全く変わり無く「川に近付くな!」で育った危機管理能力の乏しい日本人の1人だったのだ。 それが突然、自分の身の安全どころかお客様の命を預かって『危機管理』でお給料を頂くような仕事を始めてしまったわけである。 そのお蔭で、最初のうちは本当に夜も眠れないほど常に危機管理の事ばかり考え続け、日々技術を磨く羽目になってしまったわけだ。 未だに自分の危機管理能力が充分だとは思っていない。 まだまだ覚えなきゃいけない事は、それこそ山のようにあるし、『これでOK』なんていうポイントがあるわけでもない。 危機管理なんてアウトドアや自然災害に限った話ではなく、それこそ『危機』なんてどこに転がってるかわからないものだから。

 しかしながら、今では自分の危機管理能力がどの程度のレベルであり、どこまでは対応可能でどこからは対応不可能か、という見極めはつくようになってきている。 危機管理のポイントは、要はこの『見極め』だ。 これが出来るようになれば、危機管理方法の手数が少くても、少ないなりに安全に対処できるようになる。 逆に見極めを誤れば、最高の危機管理能力を持った人間でも命を落とす事になる。 運転技術が大して高くなくても一生無事故の安全運転が出来る人もいれば、高い運転技術を持ちながら一瞬の判断ミスで命を落とすレーサーがいるのと同じといえばお判りいただきやすいだろうか。

 自分自身、これからも危機管理能力を磨き続けるとともに、危機管理について意見を提示しつづけていきたいと思っている。

 これ以上事故が起きませんように。そして、Kiwiボーダー達が奇跡の生還をしますように!






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