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最近BE-PAL誌の危機管理意識に関する意見・批判を随所で目にするようになってきた。
拙サイトでの批判がキッカケになったか、それとも時期を同じくして同じ意見をお持ちの方の発言が増えたのか、私自身には判断の材料はないのだが、そうした傾向自体は非常に好ましいと思う。
もちろんそれが単なる誹謗中傷悪口のレベルに止まるならば、決して誉められた事ではない、なんてことは言うまでもない。
しかし掲示板等で交わされているご意見を拝見すると、かなり建設的な議論となっているようだ。
従来日本人はこうした大メディアには無批判に迎合する傾向が非常に強かったので、日本人の危機管理意識がレベルアップしていくさまを目撃しているようで、非常に嬉しい。
さて、今回もまたBE-PAL誌関連のページだ。
都合3回目となる今回は、読者の方からの投稿なのだが、その前に前回の『その8 BE-PAL編集部からの返信』でご紹介した編集部からのメールのその後の経過をご報告しておこう。
あのメールの中には
「今回のRYUさんのご意見、ご指摘はビーパル30万読者にとっても大変に有益なもの
だと考えますので、反省もこめましてビーパルのHP(ibep@l)上で全文を掲載させて
いただき、RYUさんのHPにも飛べるようにしたいと考えていますがいかがでしょうか。
それがRYUさんのご指摘に応える最良の方法かと考えます。同時にほかのビーパル読者も
含めて今回の問題を一緒に考えていく機会にもなるかと思います。ご返事をお待ちしてい
ます。」
と書かれていた。
私自身に異存のあろうはずもないので、もちろん承諾の旨をお伝えしておいた。
しかし、どうやら先方のサイトで拙サイトのことに触れられた節はないようだ。
少なくとも私のところに「BE-PAL誌のサイトで見た」というご報告は入って来ていない。
こうした無責任さも、批判の対象となる原因にもなっているのかもしれない。
BE-PAL誌とすれば、黙殺しておけば鎮静化するとお思いになったのかもしれない。
それは雑誌を編集する立場の方々にとっては極めて自然な発想かもしれない。
なんせ月刊誌は1ヶ月すれば店頭から姿を消し、人々の記憶からも薄れてしまうのだから。
しかし残念ながら、それはインターネット上では通用しない常識だ。
Web上のコンテンツは雑誌の記事と違って放っておいても色褪せない。
『その8 BE-PAL編集部からの返信』の中で私は
「プロがネット上に無料でばら撒く情報によって足元をすくわれることになるだろう。」
と予言したが、思った以上に早くそれが現実のものとなりつつあるのかもしれない。
また、その他の誌面作りにおいて顕著な危機管理レベルアップが見られたかというと、やはりそれも肯定し難いものがある。
むしろ危機管理意識の高い方々からの批判の的となっている『サラリーマン転覆隊』は、映画化が決定してしまっているようだ。
(詳しい事は、海外在住の浦島ゆえ、キチンと把握していないのだが・・・)
結局の所、心あるアウトドアズマンの姿勢とBE-PAL誌の姿勢とは、乖離する一方のような印象が拭えない。
そんな折り、また読者の方からご意見が届いた。
1999年11月号に、1999年8月の玄倉川の悲劇に対するBE-PAL誌読者からBE-PAL誌に寄せられた投稿と、それに対するBE-PAL誌からのコメント、及びサラリーマン転覆隊隊長本田氏のコメントが掲載されているそうなのだが、拙サイト読者のpaddleさんが、このBE-PAL誌と本田氏のコメントの中に潜む問題点を指摘して下さった。
少々古い話ではあるのだが、全くもってごもっともなご意見なので、ご紹介する事にしよう。
紺字で書かれているのがBE-PAL誌面からの引用部分、黒字で書かれているのがpaddleさんのご意見だ。
なお蛇足かもしれないが、念の為申し上げておこう。
拙サイトで公開している私のメールアドレスはpaddle@onjix.comではあるが、今回ご投稿を頂いたpaddleさんはれっきとした別人であり、別に私が一人二役で書いたものではないことを断言しておく。
もし私が仮りに一人二役のサクラをやるなら、もっと別人らしいハンドルネームを考えるし、そもそもこの『危機管理考』に関してはそうした姑息な真似をするつもりは一切ない事を予め申し沿えておきたい。
BE-PAL誌に対する批判を掲載するに当たって、私が今更偽名を使わなくてはならない理由などどこにもない。
さて、paddleさんのご意見を伺うとしよう。
小学館『BE-PAL』
1999年11月号 P190
投稿ページタイトル「激論 あの水難事故について思うこと」
読者よりの投稿、以下引用(改行は引用者)
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このたび神奈川県玄倉川で14人のキャンパーが死亡した水難事故。
どう感じられたでしょうか。何も感じませんか。
7月号の特集“キャンプはリバーサイド”。私は貴紙の編集方針に異様な危うさを感じ、
わが目を疑ってしまいました。一応、“集中講座”などと称して、増水の危険性になどに
ついて触れていますが、さんざんカラー・グラビアで「バラ色のリバーサイド・キャンプ」を
アピールしたあとでは、いかにも申し訳程度にしか見えません。
今は山岳部などで知識を持った愛好者だけがアウトドアを楽しむ時代ではなく、
有象無象が目先の情報をもとに、安易に山に入る時代です。彼らに自然の楽しさを伝えたいなら、
まず、「河原のキャンプは危険である」「避けるべきである」という大原則から教育する義務が
専門誌にはあるはずです。かつての専門誌編集部なら決してはずすことのなかったこの点を、
貴編集部が見落としたのはやはり、専門誌自らが安直なアウトドア・ブームに浮かれていたからではないか…。
濁流に流された第一の責任者は言うまでもなく当事者です。今回の事故の責任を貴紙に
押しつけるためにこの手紙を書いたのではありません。でも、濁流に飲み込まれた家族の何人かは
ビーパルを読んでいたはずです。それもグラビアを。親に連れられてきて、押し寄せる濁流の中で
溺れ死んでいった子供達が哀れです。
(青森県 溝口太郎)
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引用終わり
この投稿の掲載に不自然な点があります。本文は細い明朝体で掲載されてますが、
文中3行目の
「“キャンプはリバーサイド”」
同じく11行目、
「浮かれていた」
の語句はポイント数の大きい、太いゴシック体で掲載されています。
(注1)
なるほど、他の読者投稿も何カ所かずつ強調されていますが、
「浮かれていた」の部分が強調されるのに、投稿者本人の了解があったのか、
それとも編集部が強調したのかの疑問があります。
勘ぐるなら、読者の反感を誘うべく強調したのでは?
この投稿に対する同ページ内タイトル
「10月号で緊急記事『玄倉川の水難事故・BE-PAL執筆陣はどう見たか』を担当 宮川閻魔大王」編集部のコメント 以下引用(改行は引用者)
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あの熱帯性低気圧が関東にやってきた日、私は転覆隊と一緒に那珂川の橋のたもとにいました。
チャーミー氏が腕を振るって料理するその向こう側には茶色の濁流が流れ、タープは風で
狂ったようにばたつき、それでも溜まった雨は定期的にどざりと皆の背中に落ちてきます。
そのときふと後ろを振り返ると、川原に細い水路ができつつありました。そうです、
我々もまた中州に取り残されそうになっていたのです。
あのとき、心の中に去来した感情は「恐怖」でした。ああいう状況で川原にいることの恐怖は
きわめて本能的なものだと思います。玄倉川の彼らがどうしてこの恐怖を無視できたのか。
私は迷わず「逃げました」。
私は読者を教育するためにページを作ったことは一度もありません。外での楽しみを
分かち合うために作ってきました。そのために誰もが陥りそうな危険についてはなるべく
注意を喚起するよう心がけています。が、本能的恐怖を感じるような事態への注意までは言及しません。
それはもはや雑誌を通して伝えられる情報ではないからです。
あの事故の現場では多くの人たちが自らの判断で危険を回避しています。おそらく彼らも恐怖を
感じての結果だったと推測します。生命的危機を恐れず、自助努力もしない方に対しては、
残念ながら本誌は無力です。
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引用終わり
このコメントの強調部分は6行目、
「恐怖」
同じく11行目
「本能的恐怖」
の2カ所です。
(注2)
投稿者の強調部分「浮かれている」に対抗するかのようです。
しかし、この編集部のコメントで疑問点がいくつかあります。
この編集子が「本能的恐怖を感じて逃げた」とありますが、これはどう考えても当人は忘れているのか知らないが、あらかじめインプットされた情報によって恐怖を感じた、としか考えられません。
なぜ、インプットされた情報と言い切れるのかについてですが、
「中州に取り残されそうになって」恐怖を感じたと言うことはその後、自分たちがどうなるかを明瞭に想像できたと言うことであり、川のメカニズム、力学を予備知識として持っていないと、被害を受ける前の迅速な行動は不可能です。
仮にもし、この編集子が驚異的な想像力や、超感覚的な本能を持っていたとして、周囲の変化に本能的恐怖を抱いたのだとしても、
「自分はこう行動できたのだから、他人もできるはずだ」
ということを「外での楽しみを分かち」合おうとしている人間に対して言うべきなのでしょうか?
楽しみだけを分かち合って、危機管理意識は分かち合う必要はないのでしょうか?
情報を流すためのメディアに関わる仕事をし、一般人よりより多くの情報を持っている(と思われる)編集子が、予備知識によって喚起された恐怖を「本能的恐怖」と言い換えるレトリックを使って、矛先をかわそうとしているとしか思えません。
その上、編集子の言う「雑誌を通して伝えられる情報ではない」情報を各専門誌が雑誌を通じて伝えてるのはどういうことでしょうか?
「雑誌を通して伝えられる情報ではない」のは力量不足、もしくは編集方針によるものでは?
小学館『BE-PAL』
1999年10月号
「緊急レポート 玄倉川の水難事故 BE-PAL執筆陣はどう見たか」
の転覆隊、本田さんのコメントをお送りします。
以下引用
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●本田亮(転覆隊隊長)
お盆の真っただ中の丹沢。キャンプ場はどこもかしこも満杯。
そんなとき、誰もいない中州を見つければ、僕らだってその中州に上陸したくなると思う。
しかし、彼らは境界線を越えて遊んでいたことをいつの間にか忘れてしまって、
キャンプ場と同じ感覚でいたのがいけなかった。
遊びは少しルールを破るところにおもしろみがあるものだ。だけど、ルールから
はみ出した遊び方をしたら、すべての責任は自分にあることになる。そんな時は
四方八方にアンテナを張りめぐらせて緊張してるのが父の役割というものだ。
この事件後、川原でのキャンプを法律で取り締まるようなコトはしないでほしい。
そんなコトしたらキャンプ場がますますスラム化して、自然の中で遊ぶ心地よさも
開放感もなくなってしまう。それじゃキャンプ場をたくさん増やそうじゃないか、
などという発想も必要ない。これ以上山や森を切り拓かないでほしいと思う。
それなら、もっと警報を徹底するのはどうだ?なんて発想も混乱するばかり。
警報を四六時中鳴らされたのではキャンプしてても不愉快になる。警報慣れした
キャンパーの警報狼少年現象がこの事件を引き起こしたとも言えるのだ。
行政が何かやれば、ますます自分で考えないキャンパーが増えるだけだと思う。
今までいくらいっても伝わりきれなかった自然と遊ぶ時のスタンス。それを
この事件が痛烈な形ですべての日本人に教えてくれた。
自然は変化する、自然が怒り出したらかなわない。自然と遊ぶ時の責任はすべて
自分でとらなくてはならない。
この日以来、日本のアウトドアが大人になっていくことを望む。
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引用終わり
はい、ご説もっとも。
こちらも危機管理意識をきちんと伝えていく意志はないようです。
他人にこうなってほしいと思うなら、それを具体的に伝えていくことが大事。
こうなってほしいと思うだけでは何も変わらないでしょう。
それと、
「今までいくらいっても伝わりきれなかった自然と遊ぶ時のスタンス。」
どこで、何を、どのくらい伝えてこられたのでしょう?
寡聞にして、転覆隊が危機管理について語ったのを見たのはこれが初見です。
編集部の最後の締めの文章を引用します。
以下引用
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多くの人命が失われた今回の事故。そこから学ぶべきことの意義を見誤っては
ならないだろう。危険だから禁止、ということでは尊い犠牲に報いられない。
改めて、亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。
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引用終わり
「学ぶべきこと」とは?結論は何もなし。
編集方針を省みることもなく、自助努力に任せるということでしょうか?
自助努力を知らない人には、なぜ自助努力、ひいては危機管理が必要なのかを説くのはアウトドア雑誌業界でのトップメディアであり、初心者の入門雑誌としても広く認識されているBE-PAL誌において、もっとも必要なファクターだと考えます。
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(注1) 件の強調部分は、今回ハイパーテキスト化する際にも強調しておきました。
また『3行目』、『11行目』などの行数は、あくまでもBE-PAL誌面上での話です。
Web上で見る際は必ずしもその通りの行数になるとは限りませんが、それはHTMLの特性によるものであり、皆様のブラウジング環境によって左右されてしまいます。
その点はご了承下さい。
(注2) 上記(注1)と全く同様です。
貴重なご意見、本当にありがとうございますm(__)m>paddleさん
弱冠古い記事であるので、それを今批判するのが適切かどうか、という疑問はあるかもしれない。
しかしながら、メディアの『もっともらしく聞こえながらも、実は無責任な言い逃れ』的な詭弁自体はこれからも頻発する事だろう。
そして、それは危機管理などの人命に関わることに関しては、やはり許してはいけない事だと思う。
そういう意味で、今回のpaddleさんのご意見は、一見もっともらしく見えながらも、実は何の内容も無い詭弁を、見事に炙り出してくれている。
その斬れ味には、感服である。
確かに宮川氏が「もはや雑誌を通して伝えられる情報ではない」としている事は、私がこの『危機管理考』で伝えようとし、多くの読者から反響を呼んでいることと一致する。
paddleさんのおっしゃる通り、伝えられるのだ。
本田氏のご意見はさらに弁舌滑らかながら、さらに無責任なレトリックに見える。
まぁ、paddle氏の一太刀で十分、今更私がこれ以上付け加える事も無いだろう。
世の中には、このように「もっともらしく聞こえる、無責任な意見」が溢れかえっている。
別に薬にも毒にもならないような話ならば、イチイチ目くじらを立てるに当たらないが、時と場合によっては、こうしてキチンと糾弾する事も必要だろう。
今回、その無責任な口当たりの良い意見を斬り捨てる技を、こうして我々の前にご披露下さったpaddleさんには、心よりお礼を申し上げるとともに、深く敬意を表したい。
今回の宮川氏の文を拝読してつくづく感じたのは、
「BE-PAL誌は、某広告代理店と接近しすぎた挙句、『編集して本(雑誌)を作って世に出版する責任』というものと、『広告代理店がモノを売るために作る広告』との境目の区別を失ってしまっているのではないか?」
という事である。
少々穿った見方なのかもしれない。
でも氏の
「私は読者を教育するためにページを作ったことは一度もありません。」
の一言で読者に警鐘を発する責任を見事に放棄してしまっているのを見るにつけ、その思いが強くなる。
ご参考までに同年11月10日号のOUTDOOR EQUIPMENT誌(ネコ・パブリッシング)から、目についた所を比較対象の為に抜粋してみることにしよう。
ネコ・パブリッシング『OUTDOOR EQUIPMENT』
NOV 1999 vol.47(1999年11/10号)
緊急特集! 絶対安全なキャンプ
P.21より
キャンプを安全に楽しめる知恵。それは、人が今後もたくましく生きていく力なのだ。
時として自然は、己の力を見せつけるかのごとく人間社会に猛威を奮う。
最近頻繁に起こる大震災もそのひとつだ。
動物たちはそれを予知しているのだろうか。その辺のところは定かではない。
だが、確実に鈍くなったわれわれに襲いかかるそれは「自然に近いところで暮らさなければならない」と、
警鐘を鳴らしているように感じる。
今年はとくに水害が目立った。マスコミの取材に答える人々は声をそろえていう。
「ここは危険だから地元の人間でも近寄らない」と。
でも、そんなんじゃないんだ。本当のことは。
危険か、否かの判断が出来なくなってしまったからそこへ寄り付かなくなっただけの話だ。
ひとは川のそばで暮らし、行き交う道も、台所も、洗濯の場も全部川だった時代があったはずだ。
そんなに遠い昔の話ではない。
いつのまにか生活が川から離れ、川を理解できない世代へと時代が移り変わってから、「川は危険」なんて言うようになったんだ。
川を理解していない世代の人間が、次世代へ伝えられることなんて「危険だから近寄るな」ぐらいのことだろう。
屋根の下ばかりで暮らしていると、しまいには「天気は変わるから危険」なんて言いだす時代がくるのではないかと心配でならない。
生きものすべては、自然の恵みを得てこの地球で暮らしている。
だったらもっと自然に近づいて、もっと理解したほうがいい。
スクリーンのなかの電車や飛行機を操縦できるひとより、空の下、風を感じて、星を見て、
明日の天気がわかるひとのほうがよっぽどかっこいいと思う。
編集長 野上真一
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ご覧の様に、BE-PAL誌に比べれば文章自体無骨で、お世辞にも洗練されているとは言い難い。
そういう意味で、すらすらと気持ち良く読めるのは宮川氏や本田氏の文章の方だ。
しかし、私は野上氏の姿勢の方に遥かに共感を覚えるのだ。
彼は少なくともメディアの責任を放棄しようとはしていない。
自然の脅威を説いた上で、読者に「逃げるのではなく、自然を理解して、自然とともに暮らそう」というメッセージを送ろうと努力している。
きちんとポリシーを打ち出し、中身と責任の伴った文章になっていると感じられるのだ。
メディアの責任とは、こういう事をいうのではないだろうか?
もちろん、もしこの言葉だけで完結しているならば、野上氏の言葉もBE-PAL誌の姿勢と何ら変わらない、なんてのはいうまでも無いだろう。
しかし、この文は、特集記事『緊急特集!絶対安全なキャンプ』の最後の結びとして書かれたものなのである。
paddleさんご指摘の通り、「今までいくらいっても伝わりきれなかった自然と遊ぶ時のスタンス」「学ぶべきこと」などの、もっともらしい字面だけでお茶を濁そうとするBE-PAL誌とのスタンスの差を感じざるをえない。
最終ページP.144の次号予告も一見の価値があると思うので、引用しておこう。
ネコ・パブリッシング『OUTDOOR EQUIPMENT』
NOV 1999 vol.47(1999年11/10号)
次号予告
P.144より
最近、不吉な事ばかりが起きます。
夏の悲しい水難事故。
台湾の大地震。
台風の大風で防波堤を超えてしまうような高潮。
とても他人ごとではすまされるようなことではありません。
いつ襲ってくるともわからない天災に、なにか備えがありますか。
災害時を生き抜くテクニックは身につけていますか。
次号、vol.48は「地震が来ても恐くない」
何を持つべきか、何をするべきかの緊急特集です。
(以下省略)
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いかがだろう?
この後も引き続き、危機管理緊急特集を組んでいるのだ。
責任逃れ、責任放棄の言い訳に終始する小学館BE-PAL誌との体質の差が、ハッキリと浮き彫りになっていると思うのは、私だけだろうか?
こうして比較してみると、BE-PAL誌にとっての危機管理記事とは、PL法対策の注意書き程度の意味しかないのではないか?という気がしてくるのだ。
つまり、
「こんな分かりきった下らない事は書きたくないけど、書いとかないとマズイから一応書いておくか。
ホントはカッコ悪くなるから、こんな注意書きは入れたくないんだけどなぁ・・・。」
ってな印象を受けるのである。
だから、あながち『某広告代理店と接近しすぎたあまり、BE-PAL誌自体が広告屋と化しつつある』という見方は、間違っていないのではないかという思いがあるのだ。
『OUTDOOR EQUIPMENT』という名前の通り、本来カタログ雑誌であるはずの方が硬派にメディアの責任を全うしようとし、片やBE-PAL誌の方は広告代理店との融合でドンドン『全面広告化』が進んで編集者が編集・出版の責任を忘れ去りつつあると言うこの皮肉な事実・・・。
非常に哀しい事に、この心あるOUTDOOR EQUIPMENT誌は、現在事実上休刊状態に追い込まれている。
私の知る限り、年3回の発行ペースでカタログ号を発行するに過ぎなくなってしまっているのだ。
これではどちからといえばムック誌、雑誌としては休刊状態といわざるをえ無いだろう。
(そういえば、過去にも硬派な雑誌『Field & Stream』という雑誌が廃刊になったなぁ・・・)
そして、一方のBE-PAL誌はブームの終焉によって一時より大幅に部数を減らしたとはいえ、やはり同種の雑誌の中では安泰の地位を維持しつづけている。
これは、他ならぬ我々読者の責任であるという事は、きっちり1人1人が自覚しておかなくてはならないだろう。
資本主義の世の中では、「消費者の望むものが正義となる」のである。
そういう意味で、BE-PAL誌の体質は、それを支持する我々消費者の責任であり、心あるOUTDOOR EQUIPMENT誌が立ち行かなくなったのも、やはり我々消費者の責任なのである。
paddleさんを見習い、もっと目を磨こうではないか>拙サイト読者諸兄
そして、それは必ず自身の危機管理能力にも繋がってくるはずなのだから。
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