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その9 2001年回想







 『一年の計は元旦にあり』というが、私には『今年の目標』だの『本年の抱負』だのを、立てたり抱いたりする趣味はなかった。 したがって、当然ながら、年末にそれを振り返る習慣もなかった。
 しかし実をいえば、今年に限っていえば1つだけささやかな『目標』があった。
「昨年(2000年)は、不本意ながら何度も何度もクライストチャーチに足を運ぶことになってしまったので、今年(2001年)は、『1度もクライストチャーチに行かない』
というものである。 ガイドブックなどでは『ガーデンシティ』と紹介される街なのだが、私達夫婦はあの街が嫌いなのだ。 というか、あの街に嫌われているのかもしれない。 なんせ、あそこに行くとろくなことがないのだ。 好きな方には申しわけないが、こればかりはいたしかたない。
 そして、これを執筆している本日12月28日現在、目標通り今年は一度もクライストチャーチに足を踏み入れていないし、今後3日間は大晦日までずっと仕事なので、訪問することはまずありえない。 目標は達成、バンザイ!
 ってな大バカな目標達成のご報告が、本稿の本旨ではなかった。 ここは『ドライバッグ』、シーカヤック関連のページ。 あくまでもシーカヤックネタを書くつもりだったのだ。

 ってなわけで、閑話休題やっと本題。
 一年を振り返る習慣がなかった私にとっても、今年ばかりはちょっと事情が違い、しみじみと振り返ることが多い年末である。 なんといっても、日本でのシーカヤッキングデビューという衝撃的な初体験が大きい。 「日本の海で漕いだ」という事実自体もさることながら、オフラインでの邂逅を期に、日本人シーカヤッカーとの交流の輪が広がり、密度が濃くなったことが、大変大きな収穫だった。
 日本シーカヤッキング初体験は、6月1日の徳島島田島潮流ツアーだった。G-Outfitterの面々+HORIZONの尾崎さんというメンバーだった。日本の海の意外な美しさに、目からウロコがボロボロと落ちた、貴重な体験だった。
 しかし、その翌日、翌々日の『シーカヤック・ミーティング in 牛窓』のインパクトは、それをはるかに上回った。日本人シーカヤッカーを一挙に50人も目にするのは初めての体験だった。
 それ以前にもネット上で日本人シーカヤッカーとは交流があったのだが、やはりオンラインの付き合いとオフラインでの邂逅は、まるで質が違う。何がどう変わったかを説明するのは難しいが、やはりあれをきっかけに、私の中で何かが変わった。無理に言葉にするとすれば、
「日本人シーカヤッカーにも、仲間が出来た!アマチュアカヤッカーにも仲間が出来た!」
ということだろうか。 (本来は、あのイヴェントのレポートもこのページに記すべきだったのだが、忙しすぎて結局時機を逸してしまった・・・。 そのうち他のサイトに寄稿したレポートを手直ししてアップしたいと思う。)

 それ以前の私にとって、『仲間』といえば、同僚のNZ人プロ・シーカヤック・ガイド達だけだった。 もちろん、彼らに対する同朋意識は、今も変わらない。 しばらく日本に滞在した後、NZに戻ってきたとき、「あぁ、帰ってきた!ここがオレのHomeだ!」と一番強く感じるのは、初出勤して同僚達や他社のガイド達、そしてウォータータクシードライヴァー達に、
「お!帰ってきたのか!日本に行ってたんだろ。お帰り!」
と声をかけてもらえるときだ。 『仲間』に祝福されるときくらい幸福を感じることはない。
 でも、日本のパドラーと直接交流をもてたことは、それに負けず劣らず本当に嬉しい体験だった。 『仲間』が、NZのみならず、祖国日本にもたくさんいるっていうのは、やはりことのほか良いものだ。 10月に義父の危篤で今年2度目の帰国をしたが、このときも日本の『パドラー仲間』から、たくさん温かいお言葉をいただいたし、「会いたい」といって頂いて実際にお会いした方もいる。 『Kiwiパドラー』である私にとっては、こうして『外国のパドラー』に温かく迎えていただけることは、この上ない幸せだ。

 あと、忘れてはならないのが、『新聞連載開始』と『TV番組出演』。 この2つは、私の活動範囲を非常に広げてくれた。 前者は、文筆に関する意識改革となり、文章能力を飛躍的に向上させてくれた。 また、後者は、まだお会いしたことのない方に、直接私のメッセージを伝える役目を果たしてくれた。 拙サイトで主張していることも、やはり私が自分の口で語る方が、当然ながらはるかにインパクトや説得力をもったようだ。 良い機会を頂いたと思う。
 聞くところによると、拙サイトの『プロガイド論』は、一部のプロパドラーから猛烈に反発をくらっているという。 それには、文章特有の冷たさも起因していたようだ。 私自身が日本のパドラーを知らない時期に執筆していたため、日本人パドラーの気質を理解しておらず、感情を逆なでしない配慮が出来ていなかった、という理由もあるだろう。 いや、もっと正確にいえば、当時は日本人パドラーとの接触がオンライン上に限られていたため、あの文章の中で批判したような方たちが、私自身にとって全くリアリティを持った『生身の人間』ではなく、よって彼等に配慮する必要性を感じていなかった、というのが本当かもしれない。 だから、反発を食らうのは当然といえば当然だったのだろう。
 だが、あの放送をご覧になって、理解を深めてくださった方も多かったらしい。「以前は反発を感じてたが、実際に画面で語っているのを見て、ようやく本心が理解できた」とおっしゃる方が現れたのは、特に嬉しかった。(と同時に、自分の筆力のなさを痛感するはめにもなったわけだが・・・。) これも、間接的ながら、「日本人パドラーとの新たな出会い」であった。

 おっと、忘れるところだったが、もう1つ大きな出来事があったのだった。 SKOANZレベル1シーカヤック・ガイドのライセンスを手にしたのも、思えば今年の出来事だった。 受験が昨年だったので、自分自身としては昨年の話という気分だったのだが、実際に認定証とバッヂを手にしたのは、今年のことだった。 プロ資格なんてものはステイタスシンボルでもなんでもなく、ただ単に「この者はプロとして最低レベルの能力は有している」という『車検証』みたいなものだと思っているが、やっぱりあるとないとでは、まわりにとっても自分にとっても大違い。 来年もこのバッヂに恥じない仕事をしていななきゃ、と思う。

 さて、来年2002年は、どんな年になるのだろう? どんな日本人パドラーと出会えるのだろうか? 自分のガイディング能力は、どれだけアップするのだろうか? ひょっとすると、念願の後輩ガイド養成という仕事に着手できるのだろうか?
 非常に楽しみだ。

 ちなみに、例の『未来者』という番組が、来年お正月に2001年の総集編を放映するということで、新たに2001年の抱負を提出した。 というわけで、振り返る習慣も抱負を述べる習慣も無かったはずが、ここのところどうも今までと様子が違ってきたようだ。 え?来年の抱負? それは、書いてファックスしたら、自分でも綺麗サッパリ忘れてしまったので、TV朝日をチェックしてください(笑)


 しかし、この『ドライバッグ』の更新が、なんと1年半ぶりだったとは・・・。 トホホ・・・。






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