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その12 『漕海屋』公開







 久しぶりの『ドライバッグ』更新。 実は、別のトピックで大型ページを鋭意執筆していたのだが、それを差し置いて急遽ご紹介しなくてはならなくなったのが、今回の大変にうれしく、そして有益なニュース。

 ニュージーランドの商業シーカヤック界に身を置いて一番感動したことの1つに、過去の事故の教訓がキチンと活かされていることがあった。 「インシデントレポート」がキチンと残っており、場合によってはそれが流通して教育機関などで使われたりもするのだ。 恥ずかしながら、自分自身も会社のツアー中にプレ・インシデント(もうちょっとで事故になりそうだった事態。日本では「ヒヤリ・ハット」ともいう。)を起こしたことがあり、その時はインシデントレポートを書いて提出した。

 その後日本のシーカヤック界のことを知るようになるつれ、今の日本シーカヤック界には、このインシデントレポートのシステムを導入することが必要と痛感。 特にインターネットを利用すれば、日本全国のシーカヤッカーが事故情報を提供し、分析や対策を討論することが可能になる。 こうなると、先進国ニュージーランドが蓄積した情報を、短期間で凌駕してしまうことも大いに可能だ。

 プロ、アマを問わず、出会うシーカヤッカーに片っ端からこの構想を語っていたが、なかなか
「うん、それならオレがやろう」
という方は現れなかった。

 で、結局盟友吉川 寛とともに、自らこの構想に着手するはめになってしまったのが『漕海屋』
 まずメーリングリストを立ち上げて同士を募り、このメンバー間で安全意識、危機管理意識を確認しあった上で、インシデントレポートの投稿や分析を開始(2001年6月)。 その後、Sea Kayaking in Hokkaidoの西村 巌氏が腕を振るって作り上げてくれた専用システムで、『インシデントレポートBBS』を立ち上げ、討論の場をこのBBSに移して実験運用を開始(2002年8月)。 約1年半の実験運用期間を経て、このたび一般公開の運びとなった。

 ご覧いただければおわかりの通り、いわゆる「事故」の範疇に入れていいものから「ヒヤリ・ハット」まで、色々なレヴェルのインシデントが報告され、それに対して分析や対策が議論されている。 議論が出尽くしたものは、別ページに『インシデントレポート』としてまとめられている。

 もちろん、これを読めばすぐに事故が防げる、なんていうインスタントなものではない。 マニュアル過信が危険なように、インシデントレポートを読んだだけで安心できるものではない。 また、ある程度の経験がないと、報告されている事故の状況を想像することさえ難しい場合だってあるだろう。
 そういう意味で、インシデントレポートといえども、経験の少なさを全面的にカヴァーしてくれる魔法のツールというわけではない。

 ただ、そのことを踏まえた上でも、やはりインシデントレポートBBSやインシデントレポートの価値は計り知れないと思う。 自動車の運転でも同じだが、「潜在している危険を認識できるかどうか」が安全確保のために一番大切なことは言うまでもない。 危険が目の前にあるのに、それに気づかない。 それがどれだけ危ういことか、言うまでもないだろう。
 そして、ほとんどのインシデントやプレインシデントは、これが原因で起こっているはずなのだ。 危険を承知の無謀行為によって起こっているインシデントは、実は一部なのではないだろうか?
 ならば、他人の事故報告を読み、自分では気づいていなかった「未知の危険」を知るだけでも意味がある。 そして、その事故に対する分析や対策の議論を読むことは、もっと意味がある。 勇気を出してその議論に参加すれば、より早く危機管理技術を身につけることも出来るだろう。

 私の自論は「体験と経験は、イコールではない」というものである。 詳しく言えば、「経験とは、体験を教訓として消化して未来に活かせる形で保存されたもの」である。
 よく
「経験が活かされていない」
という言葉がきかれるが、この私流の定義からすれば、この言葉は
「体験が活かされていない」
であるべき、ということになる。 活かせる形になっているのは経験であり、活かせないのならばただの体験にすぎない、というわけだ。 私は、こうした形でこの2つの言葉を使い分けている。
(この発想自体は、敬愛する故山本夏彦師からいただいたものである。)

 よく
「私は10年の経験を積んでるんだ!」
と誇示する人がいるが、私流の定義からすれば、これは「10年の体験」である。 そして、個人が10年間に体験できることなど、所詮たかが知れているし、その中で本当に「経験」として学んでいることは、どれだけあるのかは分かったものではない。
 はっきり言えば、同じ体験をしても、その中から学び取れるものの量は個人差があり、ある人が10年の体験からようやく得た「経験」を、ある人は3年の体験から学び取ることだってあるのだ。 だから、一口に「10年の体験」と言ったって、その中で得た経験値がどれだけのものかは、人によってまちまちだろうから、一概に「へぇ、そりゃスゴイ」と思うわけにもいかない。

 逆に言えば、個人の体験年数は少なくとも、多くの人の体験を効率的に取り込んで、きちんと経験として活かせる人は、年数以上の経験値を積むことだって可能だし、その例を私はこのシーカヤック産業先進の地で、非常に数多く目にして来ている。

 日本には『三人寄れば文殊の知恵』という良い言葉がある。 事故対策、危機管理に関する経験だって、例外ではないと思う。
 このインシデントレポートが、そうした形で皆さんの経験値向上に役立つことを祈る。

 しかしながら、重ねていう。
 インシデントレポートやインシデントレポートBBSは、他人の体験を事故の経験として取り込む機会を与えてくれる有益なツールだと信じてはいるが、やはり過信はできないし、経験を完全にカヴァーしてくれる万能ツールでもない。 ゆめゆめ過信して、「分かったつもり」にならないで頂きたい。 特に、死にかけた体験の恐怖や、荒れた海のおそろしさなどは、いくら文字で読んでも理解できるものではないのだから・・・。

 ともあれ、このインシデントレポートのシステムが日本シーカヤック界に受け入れられ、皆が安心して自分の体験した事故やヒヤリ・ハットを報告して議論の俎上に提供できる雰囲気が定着することを、切に願って止まない。






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