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 ・Maori
 ・Abel Tasman
 
 
注:電話番号について
 ここでは+64-3-123 4567という表記方法をとっています。最初の+64はNZの国番号、次の3が市外局番、最後の7桁123 4567が市内局番です。日本からかける場合は国際通話番号(001、0041など)のあと64 3 123 4567とダイヤルします。NZ国内からの場合は最初の64の代わりに0、つまり03 123 4567とダイヤルして下さい。
 ここで注意が必要なのは、NZの場合同じ市外局番でもエリアが違う場合は市外局番を省略できないという点。例えば南島の市外局番はすべて03ですが、NelsonからDunedinにかける際は03が必要になります。すぐ隣の町でもエリアが違う場合があるので、市外局番からダイヤルする方が確実です。
 なお、0800から始まる番号はフリーダイヤルにつき、国内からしかかかりません。





Maori
マオリ
 NZは陸棲哺乳類の存在しない約7000万年前に、すでにゴンドワナ大陸から分裂独立していたため、長い間コウモリ以外の哺乳類の住まない土地であった。その結果、Kiwiなどの飛べない鳥をはじめとする鳥の楽園が形成された。

 この地に初めてやって来た人類が、Maori。Maoriは文字を持たなかったため、伝説の形でしか記録が残っておらず、諸説あるが8〜9世紀ごろにポリネシアから渡ってきたとされている。彼らの伝説によると、彼らの故郷は"Hawaiki"(ハワイキ)という所で、そこから巨大なカヌーに乗って移住してきたという。Hawaikiの場所についてもタヒチあたりともマルケサス諸島あたりとも言われ、いまだに特定できていない。
 彼らはイヌ及び食料に紛れ込んでいたネズミをこの地に持ちこんだが、これによって7000万年続いた鳥中心の生態系は大きく変化することになる。

 現在よく知られている伝説によると、Maoriは14世紀に巨大カヌー10艘でこの地に到着し、先住民Moriori(モリオリ)を征服、そして彼らはこの地を"Aotearoa"(アオテアロア) - 白く長い雲のたなびく地 - と呼んだということになっている。しかしこの伝説については疑問があるらしい。
 まず、最近の科学的年代測定によると少なくとも9世紀にはMaoriはこの地に定住していた事が分かっている。一方Morioriは、NZ本土の東約1000kmに浮かぶChatham Island(チャタム島)の先住民であり、NZ本土にはいなかったのである。
 またAotearoaの名は、実はAucklandの北東に浮かぶGreat Barrier Island(グレート・バリア島)のことであったらしく、現在言われているようにNZ全土を表す言葉では無かったらしい。ヨーロッパ人がNZ全土を指す言葉と錯誤し、それが一般化してしまったもののようだ。
 このような間違った伝説が流布してしまった原因は、19世紀のヨーロッパ人考古学者達の誤解と、自身の伝統を暴かれることを嫌ったMaoriの偽証によるもののようだ。

 さて、この地に到着したMaoriの歴史は"Moa-hunting-period"(モア狩猟の時代)と"Post-moa-hunting-period"(モア絶滅後の時代)に分けられる。Moa(モア)とはかつてこの地で栄えた史上最大級の鳥(最大のものは体高3m以上)であり、やはり飛ぶことが出来なかった。移住当初、MaoriはMoahunterとして狩猟中心の生活を送ったが、ほどなくMoaは絶滅。それ以降は狩猟・採集を続けながらも農耕の比重が大きくなっていく。栽培したのは主にHawaikiから持ちこんだ主食、Kumara(クマラ。サツマイモ)である。

 彼らは最後まで鉄器を使用することは無く、18世紀にヨーロッパ人と出会うまで石器を使用していた。中でも重要だったのが、現在でもNZの特産品である南島西海岸特産のJade(ジェイド。ヒスイのこと)。Greenstone(グリーンストーン)、あるいはMaori語でPounamu(ポウナム)とも呼ばれるこの石は、高貴な身分のしるしとして全国各地のMaoriの間に流通していた。鉄器を使用しないにもかかわらず、彼らの加工技術は極めて高かった。

 
 
Abel Tasman
エイベル・タズマン
 1642年12月、この地にヨーロッパ人として初めてやって来たオランダ人アーベル・タスマンは、当時赴任中だったインドネシアから、オーストラリア及びその東の海域の探検のため出航、その航海中にこの地を発見。しかし、上陸用のボートがMaoriに襲われ、4人の乗組員が死亡、その後の試みもことごとく失敗し、結局この地を踏むことは出来なかった。
 彼の発見した島はオランダのZeelandia(ゼーランド)にちなみ、Novo Zeelandiaと呼ばれた。New Zealandの名は、Novo Zeelandiaの英語化したものである。

 彼の名前は英語で「エイベル・タズマン」と発音され、Tasman Sea(タズマン海)、Abel Tasman National Park(エイベル・タズマン国立公園)やNZ No.2の高峰Mt.Tasman(タズマン山)を始め、今もその名を各地に残している。 オーストラリアのタスマニア島ももちろん彼の名にちなんだもの。 ちなみに彼が上陸を試みた地点は今のAbel Tasman National Parkの北にあるGolden Bay(ゴールデン・ベイ)であり、当初はMurderer's Bay(マーダラーズ・ベイ。人殺し湾の意味)という名が付けられていた。 Golden Bayの名の通り、大変美しいところである。

 なお、日本では彼の名前を祖国のオランダ語の発音に準じてアベル・タスマンと表記することが多いようだが、このサイト内ではNZの公用語である英語の発音に準じ、地名に関してはすべてエイベル・タズマンの表記を採用している。

 
 










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