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| Fiordland National Park | |
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フィヨルドランド国立公園
NZ南島西海岸の南端に広がる国内最大の国立公園で、Te Wahipounami South-west New Zealand World Heritage(テ・ワヒポウナミ・サウスウェスト・ニュージーランド世界遺産指定地域)内に属している。
面積は1,257,000ha。
世界的に有名なTramping Track(トランピング・トラック=トレッキング・コースの事。trampingはtrekkingを意味するNZ英語)である、Milford(ミルフォード)、Routeburn(ルートバーン)、Kepler(ケプラー)、Dusky(ダスキー)、Hollyford(ホリフォード)などはこの地域に集中している。このうちMilford、Routeburn、KeplerはDOCによってGreat Walksに指定されている。
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| Milford Track | |
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ミルフォード・トラック
コースはNZ全体で2番目、南島では最大の湖Lake Te Anau(テ・アナウ湖)の北端のGlade Wharf(グレイド・ワーフ)からMilford Sound(ミルフォード・サウンド。サウンド=入り江)のSandfly Point(サンドフライ・ポイント)へ至る54km。
このTrackは厳しい規制のもとに管理されているのが特徴。規制の内容は次の通り。
1日目、2日目は西海岸特有の濃密なRain Forestの中を清冽なClinton River沿いを極めて快適なTrackを遡ることになる。この川沿いのTrackは氷河に削り取られて出来あがったU字谷の底の部分にあたり、両側に数百mの高さの切り立った山並みが延々と続く事になる。
Guided WalkとIndependent Walkでは宿泊地が違うため、行程や所要時間にも違いが出るので、章を改めて後述する。
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| History of the Track | |
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Trackの歴史
ヨーロッパ人がNZに来る以前の時代、Fiordland(フィヨルドランド地方)の先住民Maoriの大部分は、現在Milford Southと呼ばれる狭い地域に住んでいた。彼らはここで水鳥の狩猟や、グリーンストーン、軟玉などの貴石を採集していた。これらの貴石は高度に加工され、他の地方へも運ばれていたが、その時に使用されていたルートが現在のMilford Trackとほぼ同じだったらしい。ただ彼らは陸路よりも水路の方をよく利用したようである。 現在のMilford Trackを語るのに欠かせない人物として、Donald Sutherland(ドナルド・サザーランド)とQuintin Mackinnon(クィンティン・マッキノン)の2名が挙げられる。
Sutherland Falls(サザーランド滝)にその名を残すDonald Sutherlandは1840年、スコットランド生まれ。
海と冒険を愛した彼はゴールドラッシュに沸くNZに渡り、鉱山業に従事。
1860年代のNZ戦争(マオリ戦争)では国民兵として戦争に参加したが、終戦後は政府所有の蒸気船Stella(ステラ号)の乗組員となる。
彼はこの船からMilford Soundを初めて見る事になるのだが、経験豊かな山師であった彼はここが鉱物資源の豊富な土地である事を確信した。 一方のQuintin Mackinnonは1851年、シェトランド諸島に長老派教会牧師の息子として生まれる。 1870年代にはNZに渡り、Otago地方でラグビー選手として活躍。 その後30歳のときに測量技師の資格を取り、Lake Te Anauのほとりに家を建てて住むようになった。
1888年、当時のOtago地方の統括責任者(Chief Surveyor of Otago)C.W.Adams(シー・ダブリュー・アダムズ)はSutherlandに対し、Milford SoundからSutherland FallsまでのTrackを切り開く事を依頼する。報奨金は50ポンドだったという。
同時にAdamsはMackinnonに対して、30ポンドの報奨金でClinton Valley(クリントン谷)からLake Te Anauまでのルートを切り開く事を依頼。
こうしてLake Te AnauとMilford Soundを繋ぐルートが両端から探られる事になった。 政府はこのルートの重要性を認識し、TrackとHut(山小屋)の整備を決定。 SutherlandはMilford Soundに"The City of Milford"という名の12室の宿をつくり、1919年に亡くなるまでここにとどまった。 一方のMackinnonはLake Te Anauのほとりに住みながらMilford Trackの最初の公認ガイドとして活躍したが、残念な事にLake Te Anauで事故死した。 1908年にこの節の冒頭でご紹介した"The Finest Walk in the World"(世界一美しい散歩道)のキャッチフレーズでロンドンのSpectatorという新聞にMilford Trackが紹介され、このTrackが国際的に評判になった。 そして90年以上経った今なおそのキャッチフレーズは色褪せることなく生き続けている。
当初Milford TrackはTourist Hotel Corporation(ツアリスト・ホテル・コーポレーション。以下THC)による独占状態でGuided Walk(ガイドウォーク)だけが行われており、現在のIndependent Walk(個人ウォーク)は無かった。これ対して1964年にOtago Tramping Club(オタゴ・トランピング・クラブ)のメンバーが「全ての人の自由にTrackを歩く権利」を主張するためのデモ・トランピングをMilford Trackで行った。
彼らは"Freedom Walkers"(「フリーダム・ウォーカーズ」)と呼ばれ、The Fiordland Park Board(フィヨルドランド公園局。現在のDOC)がIndependent WalkersのためのTrackやHutの整備を始めるきっかけとなった。
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